基礎の充実が行き着く先はなんですか?

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昨日、盛大に港区70周年おめでとう式典が開かれたのは記憶に新しいことですが、この時期に港区立〇〇小学校創立〇〇周年式典というものにも出席させていただいております。昨年は麻布、青山小学校とか。今年は青南、南山、赤羽小学校とか。90周年とか110周年とか140周年とかすごいですね。

 

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母校の東町小学校は数年前に100周年式典が終わって今確か103年、次の式典は7年後かあ。小倉りえこシジュウハチ、いい感じのシジュウハチでありたい。10才猫ズとともに。

 

私が小学生の時は70年とか75年とか5年刻みだったような記憶があるようなないような、その文集だったか卒業文集だったか何かで『頭が良くなってノーベル賞を取りたい』とどっかでそんなようなことを書いた記憶があります。すべてにおいてあやふや過ぎて、書いた事も偽りの記憶で上書きされてる可能性も十分考えられます。確認し直さない記憶も時折は良し。

 

今となってはどちらかというとイグノーベル賞の方にグッときます。おもしろおかしい研究じゃないですよ、これからに繋がるすっげえ素晴らしい研究ですよ。なんでもそうですけどそういう研究があって、そういうのを評価してくれる面があって、表裏一体なわけですよ。今のご時世、理科教育をもっと充実云々と言われてるわけですが、理科教育にこだわらず、今バカげてるようにしか見えなくとも将来化ける可能性ある何かに対しての評価をする目や前向きな姿勢というものもセットでよろぴくぴくが求められていくわけですよ。残念なことに日本はあんまりそういうとこ頑張ってない。

 

ノーベル賞受賞者も結構口を揃えていいますよね、今はなんか当たり前のようにノーベル賞受賞者出て当然な雰囲気あるけど、そのうち状況変わってくるよと。何に使えるかどうかわからん基礎研究にお金を費やすより、すぐ何か成果のでそうな目先のものに目を奪われすぎじゃないのと。実際、科研費とか助成とかも短い期限の間に成果を求められますもんね。『こうこうこういうことがわかりました、不思議発見さてここで問題です☆』より『赤のダイヤと青の宿泊券、ハンターチャンス到来☆』のほうが、チャンピオン大会に限りなく近いですもんね。そりゃ誰しも心奪われるでしょうよ。

 

種を蒔いても水を与えないのでは伸びる芽も地中に埋まったまま。水で湿らせたシャーレの中で発芽させるなら、その後ちゃんと土に埋めて育ててあげましょうよ。もう片方の努力も惜しまないことと環境を与えることで、綺麗なお花や美味しい実が実るんですよ。収穫後もちゃんと流通させてあげないと普及しないんですよ。今の日本は『育て方の基礎は教えますけど、その後は興味あるならご勝手にご自分の無人販売所でお好きに売ってください』的な感じがする。

 

がんばれ日本。基礎と一緒に第一次普及戦略作戦スタンバれ。弾幕薄いぞ。

 

脱線しまくりました。また小学生の〇〇周年の話に戻しますけど、記念冊子に『〇〇年後の自分の姿』という質問にみんなが答えていくというところがありました。よくあるやつです。その中ですごく興味深い回答がありました。興味深いというか違和感というか、なんだろうこのキモチ。

 

『〇〇(理系)の勉強をしながら仕事を探していると思う』

 

奨学金云々どころじゃないですよコレ。基礎の基礎は何かを考えてみてください、エラい人。基礎の先には悲しみしかなくなっちゃうよ。