『シンギ』について考える

シンギ。審議?真偽?信義?同じ読みでもいっぱいあって日本語は難しいですねえ。

 

『審議』。グーグル先生に聞いたらグー先生のオンライン辞書がオススメだよと言われたので、デジタル大辞泉採用しているグー先生のお答え曰く、『ある物事について詳しく調査・検討し、そのもののよしあしを決める事』だそうです。

 

私たち、区議会議員のお役目を担ってる中でこの『審議』という表現をよく使いますし、お役所の中の人もよく使います。普通に。改めて『審議』の意味を考えてみると、『あれ?うちらのやってることって審議?あれって審議なの?審議じゃなくね?』とアタマの上にハテナが浮かぶことが未だに時々。

 

2年間お役目を担ってきて、何を審議と言って何を審議とは言わないんだろうかという線引きがわからんのです。『十分審議をしました』は何に対して適切に使われる表現なんだろうかと。そしてどの場面において適切に使われる表現なんだろうかと。知ってます、悪い癖は考えすぎることです。

 

議決的なところ、つまり区長を筆頭とする区役所職員連合が提出する条例だの予算案だの、いわゆる議案というものに対しては『さんせーい!』『はんたーい!』と立ったり座ったりします。これはいわゆる『審議』でいいわけです。良し悪しを決めるわけですからね。でも、中身をよくよくみてみると『条例だの何だの、関連した委員会に投げて、そこで10名前後の議員に話し合ってもらった結果を全体の判断として採用しますか?』という問いかけに『さんせーい!』『はんたーい!』なわけです。区民の代表の中の議員、その中で組まれたグループの中から更に代表的な議員(委員会メンバー)による賛成反対が元の素。

 

港区は『会派制度』的なものを採用しています。個人でというよりは、会派(グループですね)で意見は統一せよ!な感じですので、『アンタなんで賛成(または反対)してんのよ!そういう考え持ってる人じゃないでしょ!』なんてこともゼロではないでしょうね。でもそれはグループ内でなんらかのちゃんとした話し合いがあるんだかないんだか、エラい大御所の一声で話し合い関係なく決まっちゃうんだかそうでもないんだか、それともジャンケンかアミダで決めるんだか、なんらかの方法で統一されるわけですよ。ま、大抵似通った考えを持つ人々がカタマリを作るので、揉めることってそんなにないとは思ったりするんですが、こういうのも内々の『審議』ってやつが存在するっていうことで、そういうことでいいのかしら。協議なのかしら、それとも議論なのかしら。それが良いか悪いかは別の『審議』が必要なのかもしれないんですけどね。万物に良し悪しが必要なのであれば。

 

ま、そんなことは置いといて。

 

それ以外で不思議に思う審議っていうのが委員会とかの小規模の別会議体の方。委員会の中で取り扱われる請願は『審議』。これはわかる。賛成か反対か、採択か不採択かを意見を述べて選択するからね。会派として何らかのやり方でまとめた判断。これはわかる。

 

疑問に感じるのはその他の『報告事項』というトピックの時なんですよね。委員会はお役所からの色んな報告があります。『何々をいついつから始めますんで』的なご報告、『何々をこれこれああしてやろうと計画してます』的なご報告など、あくまでもご報告な事項にたいして我々議員はああだこうだ、やれそうだそうじゃない、そんな発言(質問)をしたりするわけです。なんでここがわからないかというと、『質問して審議しなさい』と言われたことがあるからです。

 

委員会でのやり取りっていうのはほとんどこう。

 

議員A ⇄ 役所の課長さんA
議員B ⇄ 役所の課長さんA

 

そんな感じで議員がピンでひとつの何かに対して担当の課長さんに質問したりするわけです。議員同士でということは無く。党とか会派で『これは質問しておかなきゃ!』とか『ここは指摘しておかないと!』みたいに事前に言うこと決めてるところもひょっとしたらあるのかもしれないけど、ほとんどの人は個人個人の考えで発言しているような感じ。

 

質問→答え、質問→答え。(なんとなく〆の言葉:わかりました、がんばってください、期待してます、よろしくお願いします、もしくは多少の嫌味)。時々頭がぐるぐるしてしまってくだらない発言になってしまったような感じで後悔すること結構あります。だって人間だもの。他の人の質問とか聞いてても、『それ質問とかするまでのこと?』とか感じる時もあります。あっ自分の発言もそう思われてる時もあるわけか。disってごめんなさい。反省。

 

ま、そんなことを考えていると委員会で発言することに意味があるのかしらと時々感じちゃいます。お役所からの報告事項についてああだこうだ質問をして、そこから何がどうなるのかしらと。何かどうなったりしたのかしらと。何か変更になることがあるのかしら、審議で議決されるものでもないからひょっとして聞き流されるだけなのかしらと。それともそういうもんなんですかね委員会って。今更ではありますけど。

 

で、話が脱線しまくりましたが、そういう報告だけの委員会において、『審議』の意味はいったい何を指してるのか。最初に言われた『質問して審議しなさいよ』が間違いだったのか聞き間違いだったのか。報告事項に反対も賛成もないですし。個人個人の意見をお役所サイドに伝えるだけ伝えなさいよなのか、お役所サイドでの検討材料に使われるようにdisれるものはdisっておきなさいよなのか、それとも他に何かあるのか。

 

で、その報告事項で出た意見に対してお役所はどうしてるんでしょう。そこが見えない。『やるかやらないかの審議』をするかもしれない定例会まで、委員会で出た意見をクリアして再提出するんですかね。んで、『抗議するほど明確に反対する理由がない』であろうことを予測して議案を通していくのがお役所のお仕事なのかしら。わかんない。その時の委員会で10分15分の同じような課長さんとの質問やりとりだけで、その前段階を足して倍の時間になったとしても『十分な審議』って言うんでしょうかね。わかんない。そういう揉めないとこがオトナな議会運営とやらなのかしら。知らん。

 

そんなお役所と議員のお役目と達は違えど、大所帯のところは『区長を支える議員の集まり(盲目的に)』とか『区長を応援する議員の集まり(盲目的に)』とか嫌味っぽく言われたことが何度かあります。だってそう言い切ってる議員も実際いるわけでして、同じに括られちゃうと嫌だなあとかはこの2年でやんわり感じるようになりました。それって変なのと感じたりしないのかしら。しないんだろうなあ。や、一般論ですよ。選挙で区長応援したからって『区長の方向性に全面賛成』をするわけないじゃないですか、強いられるなら話は別だけど。というかひょってして既に強いられちゃってるような気がしないでもない時もある。わかんない。

 

都知事と都議会議員も同じですよね。もちろん市長と市議会、町長と町議会、村長と村議会、県知事と県議会も。自分のやろうとすることを進めるために仲間を増やすのが政治だ!議会だ!というのが地方議会でも正義なら、つまらないところだなあと感じちゃう。だって今の色んな議会をみている限り、そこで何か成し遂げられてるものがあるようには思わないですもん。何人もの議員が同じ意見を出したからって、例えばそれがトンチンカンだったら採用されるとは限りませんよね。みんなが感じてる普通のことを正しい理由と理論で説明したら、一人の意見でもお役所は理解してくれる可能性の方があるわけですから。『自分の提案を採用してくれそうなトップを支持するために議員になる』って風潮ありますけど、それなんか違うと思うなあ。要はトップの度量の問題ですよ。器のサイズの問題(カタチの問題ではなく)。

 

そういうのをややこしく揉めないようにするのが、一般で言われるようなオトナ議会とやらなのかしら。それもわかんないや。『自民党のお前がそんなこと言っちゃダメ!』とかお役所から言われたこともあるし、『1年生議員が発言なんて生意気なんだよ!』的なことを議員から言われたこともあるし、ますます議会と議員のお役目が不思議に感じるようになった、任期2年目が終わる今日この頃。

 

結論。審議と質疑と議論が全部ごっちゃになってた。ごめーん。『十分な審議』についてこれからも勉強していきます。

 

あっひょっとしたら『じゅうぶんなしんぎ』じゃなくて『じゅっぷんなしんぎ』の意味だったら、どうしよう。おーい誰か一休さん呼んできてー。