オリンピコ、おおオリンピコ、冬のピコ

この辺からもブルーインパルスの5つの輪が見えたんだよと、50何年前の記憶を昨日のように嬉しそうに語ってくれる方々によく会います。それだけインパクトがあることだったんだと、また、ここら辺からもそれだけよく見えたんだと、ビルに囲まれた今はそういうのは見えないだろうなと、そんな事を考えながら自分の記憶の中のオリンピックを振り返ってみることにします。

 

オリンピコ・メモリー

記憶に残ってる1番古いのが1984年のロサンゼルス大会。9歳ですか。コマ切れでちょっとづつ色々なことを覚えてます。開会式で人が空飛んでたとか、観たいテレビがオリンピック中継で放送してなかったとか、陸上とか体操とか柔道とか。なんかよくわからないけど、『ロサンゼルスオリンピックは赤かった』と、何故か赤という色のイメージが強烈に残ってるのはなんでだろ。カール・ルイスのユニフォームかしら。

 

その次はソウル、冬はカルガリー。このあたりは多分観てるんだけどそんなに記憶にない。夏はボーッとでも観てると思うんだ。夏だし、そうめんズルズルしながらとか。バルセロナとアルベールビルも多分似たような感じ。

 

ショッキングな1994年

なんか同じ年に夏と冬でオリンピックやってたよね。それが1994年の冬から変わったんだよね、確か。冬のリレハンメル大会、オリンピック自体やってること知らなかった。その時、日本で通ってた高校中退してアメリカの高校に編入して1年目、寮住まいで勉強づくめだったからテレビも観てなくて、というか寮住まいだからテレビなんか観れる自由もなくて。

 

当時インターネットとかそういう便利なのなかったし、寮に1台置いてあるテレビはまわりのアメリカ人のみんなは限られた少ない時間の中でトークショーとかコメディドラマとかしか観てなかったし、ニュースとかそういうの誰も興味なかったし。

 

時々日本へかける電話で『リレハンメル観てる?』って聞かれて、『ハァ?なに?リレ?それ何?オリンピック?冬の?なんで?ついこないだやってたじゃん?え?今やってんの?え?というかリレハンメル?どっかの場所の名前?どこの国?

 

と、得たものも大きかったけど失ったものも大きかった10何年くらいのアメリカ暮らしのスタートを切ったのが思い出のリレハンメル大会(いっこも観てない)。

 

その後は

アトランタは少しだけ観てました。でも長野とシドニーは観てない。その理由、時差とお金

 

ご存知の方も多いと思いますけど、アメリカさんってオリンピック放送するのって民放は基本1局(スポーツ専門の有料チャンネルもアリ)、しかも朝から晩まで放送してるわけでもない。しかもケーブルテレビ加入しないとザーザーで民放1局も映らない(ところもある)わけ。

 

アトランタが観れてたのはケーブルテレビ入ってて時差がなかったからテレビつけたらなんとなくやってたから。長野は時差があるので1日遅れの録画みたいなもんだったし、フィギュアスケートのミシェル・クワンとタラ・リピンスキーしかやってなかったし。

 

シドニーは働き始めたばかりのニューヨークでケーブルテレビ加入せずギリギリ映るか映らないかのザーザー言うテレビから微かに聞こえたようなそうでもないような。2000年になるとインターネットがそこそこ充実してきたのでネットニュースのトピックスで速報みてたくらい。

 

USAテレビ事情

当たり前のことだけど、まあアメリカさんが強い競技はアメリカのゴールデンタイム・プライムタイムの放送ですよね。んで、当たり前のことですけどそんなばっかり観てるとやっぱ気分は『USA!USA!』ですよね。これは仕方ない。国歌歌えるくらいそこそこ長くいたわけだし。

 

ソルトレイクの時はテレビ観れるところに住んでたので、その時のアメリカさんはそう言えばショートトラックのアポロ・アントン・オーノ一色だったな。仕事から帰ってきてテレビ付けるとオリンピックやってた的な。

 

あっ、そう言えば当時聞いたアメリカ的ゴールデンタイム、プライムタイムなんですけど、東海岸の午後8時からというのが鉄板。というのもですね、アメリカさん広いわけですよ。東海岸と西海岸で時差3時間あるくらいの広さですよ。だから全米で生放送とかいうと『仕事あってもおうちに帰って観れないわけではない』西海岸の夕方5時開始がマストだと。野球の試合とかいい例かしら。ワールドシリーズとか。

 

ホラ、国内の仕事するにも業種によって時差考えるから朝6時(東海岸9時)スタートして午後3時(東海岸午後6時)に終わらせる働き方の人もいましたし。というかそういう人本当にいましたし。仕事終わったから早く帰る人いっぱいいたし。むしろ文化と感覚の違いですかね。

 

今はどうなんだろ。まあいいや。変な方向に記憶が改ざんされてたらごめんなさいね。だって所詮は人間だもの。

 

USA一色でした

と、よくよく思い出してみると私のオリンピックはアメリカさん一色であります。だからこそ2004年のアテネは帰国まもなくで開会だったから、ずっと観ることができなかった日本人選手を目当てに一日中テレビ観てたのかもしれない。あっ、ハイ、充電期間で当時無職でしたし暇でしたから。

 

と、昔話はこれくらいにして、そんなことを色々思い出してる中でピョンチャン大会が始まったわけです。テレビで観てるわけじゃないですか。開会式の前に予選とかやったりしてるとオリンピックの始まりがイマイチわからんとか、テレビつけなきゃオリンピックムードってそう言えば皆無だよなとか、テレビ無い若い人とか多いわけだしネットでわざわざオリンピック観るのかなとか、それともいつぞやの自分のようにニューストピックスだけで終わるのかしらとか。そうすると2020年のことを考えるわけですよ。

 

夏と冬とオリンピックのボリュームは異なれど、多分同じような時間帯で同じような放送スタイルで同じような生活を例えしてたとして、いくら学生は夏休みであろうと、仕事ある人もいるわけですしみんながみんなオリンピックパラリンピック言ってるのだろうかと。でも遠くだからまだしも、すぐそこ何駅か向こうで実際オリンピックやってるんですもんね、今とは確かに状況も違いますよね。でも2020年の7月とか8月とか9月なわけですよね。普通の生活の中にオリパラがあるわけで、オリパラの合間に生活してるわけじゃないですもんね。

 

そんな事を考えながら、明日明後日の男子スノーボードハーフパイプのショーン・ホワイトを楽しみにしてる小倉りえこでありました。仕方ないじゃないですか、ショーンですもの。

 

普段の生活をしている中で放送みれるのかしら?問題はそこ。