せんきょ。の話。

さて、港区では先月と今月と2回も選挙がありました。投票率も安定のアレですけれども、選挙に関しては色んなことを考えるようになりました。ヒトは2種類に分けられます。「投票する側」と「投票される側」。立場が違うと色々不思議なことがあります。個人のヘリクツ含め、異なる意見も多々あろうかと思いますあまぁそれはそれでオケです。自由ですから。

 

分かれ道

よく「なぜあの人が議員なんかなってるのかしら」とか「あんな人でも議員になれるのね」とか、不祥事を含め色んなことがある度に、誰もが一度はそういうこと思ったことあるはずです。特定の人の顔を思い浮かべるか浮かべないかは別として。

 

で、自分は今議員というお役目をいただいている以上、当然この地球上のどなたかには「あいつ、議員とかあり得ないふざけんな」くらいは思われているであろう側です。そんなことありえない、はありえない。容易に推測されます。たぶん。

 

で、議員になる素質だ云々、議員としての責任云々、色々とそれぞれの人の頭の中に理想像はあろうかと思いますが、今自分がこういう立場になった以上ひとつ確実に言えるのは、「誰でも立候補した人だけが議員になれるチャンスがある」ということに尽きます。ええ、素質云々、経歴云々、やる気云々どーでもよくて、立候補しなければなるべく人もなれないという素晴らしき民主主義的手法。推薦じゃダメやねん。

 

なので、「あの人、なんで議員になれたのかしら」とヒソヒソ話をしているところに遭遇するかもしれないアナタ、その時はビシッと言ってあげてください「だってその人、立候補したんでしょ?」と。

 

現職議員はたぶんおそらく「いや〜みなさんからのありがたいご支持がありまして〜」なんて答える人も少なくないと思います。が、そもそも論的にはそうじゃない。議員になれるかどうかの分かれ道、投票する側とされる側の最初の分かれ道は「立候補するかどうか」、当たり前のことですがここに尽きます。たぶん。首長しかり。

 

「投票する側」だった時のことが「投票される側」の今、スコーンと跳ね返ってきますよね

5年前までですけれどもね、その辺にいる一般の善良な区民ですよ。今だって別にジャージで外で歩くの全然平気な善良な区民のひとりであると思っていますけれども、昔は議員に対して嫌だなというかアレっと感じたことがありました。

 

我々はみなさんからの付託を受けて〜

 

↑この表現に違和感があったんですよね。正気、嫌悪感があるくらいの。

 

それはそのはず、「いや、自分、アナタ選んでないから」という理由が100%。しょーもない理由かもしれませんが、自分みたいに揚げ足を取ってた人はいざという時足をすくわれちゃうわけで、今自分は「いや、自分、アナタ選んでないから」と絶対零度の視線を向けられる立場です。

 

人を呪わば穴二つ。いや、ちょっと違うか。

 

なので、自分は可能な限り「みなさんからの付託」という表現は使わないことに決めてます。無意識でどこかで言ってたら叱ってください。その時は全力で「すんません」と凹むと思います。

 

投票される側としての今

選挙は色んな人の思いが交差するイベントです。好きか嫌いか、期待値が高いかどーでもいいか、複雑な事情も絡みつつ時期がやってきたら淡々と選挙というものが行われ、立候補者を募り、投票するという行動が繰り返されていきます。

 

投票する側からされる側になった今、声を大にして言いたいことがひとつあります。それはもちろん自分が以前はそんなことひとっつも気にかけたことなかったものであって、でも立場が変わってそれはなんだかんだ言ってすごく重要だよねということ。

 

我々、時折「税金泥棒」ときらびやかな名称で罵倒される可能性の高いお役目をいただいています。なぜなら当選したらやれ数年間は安泰だの、やれ何しなくとも生活は十分できるだの、実際にそう発言する人がいるため、全員が全員にあてはまらない罵倒の言葉を一括りにしていただくこともあるわけです。しゃーないかもしれないけれども。ジャンルひとくくり。

 

で、ここ何年かで「なにもしなくとも議員でいられるの?」と時々聞かれます。昔の自分だったらそんなふざけた人は辞めてもらいたいくらいの勢いなわけでしたし、辞めさせる方法とかないのか気になったこともあるわけです。多分みんなが一回は通る道。なのでこれは真っ当な疑問と思います。

 

で、今自分が議員という立場になり、その問いを投げられた時になんと答えるか、答えられるかとずっと考えていたわけですけれども、最終的にひとつのファイナルアンサーにたどり着きました。自分なりの。

 

Q: 何もしなくとも議員でいられるのか?

A: 何もしないこと込みで立候補して、何もしないこと込みで選ばれてるかもしれないから、それに関して外部は文句は言えない。

 

と、すっごいかたっ苦しい上、杓子定規なモノの考え方になってしまいがちな自分がとっても嫌になることも多々ありつつ、今日もxxxをxxxxxxxしたり、xxxxxを進めていくにあたりxxとxxxxについて話したり、xxxxxxxxがxxxxxxxxxxxxxxxとなるようにまだ言えないことをこなしつつせっせと手洗いしています。なお、猫は昨日丸洗いしました。まる。