良かれ 良からば 良かる時

この世の中には2種類の人間がいます。歯医者さんでアーンって大口開けてる時に先生の治療の邪魔にならない程度に上手に舌の位置を固定できる人と、緊張と恐怖で呼吸すら忘れてしまいそうになりつつ舌が勝手にうにょうにょ動いて先生の指をちょびっとぺろりんしちゃいがちな人。どうも、後者の小倉りえこ@絶賛歯科通院中です。無意識なんですごめんなさい先生。

 

さて、2日間の麻布十番納涼まつりも終わり、本日で8月もおわり、ようやく夏も終わりだなあと実感する時期となりました。毎年『何人来るんですか麻布十番まつり?』なんて聞かれますが、『ヒトってひょっとして昆虫よりたくさん存在するくらいの生き物なんですかねえ?』としか答えられないくらいの、一極集中イメージ。楽しかったですか?大変だったですか?また来られますか?もういいですか?それにつけても普段の日もお買い物は地元・お近くの商店街でよろしくどうぞ。

 

確か9月の13日とかそのあたりから港区議会の定例会が始まります。平成29年度の第3回定例会。中身はといいますと、区長とか行政サイドから『こういうことに急にお金使います』とか『こういうことを始めます』とかを提案されるほか、昨年度の事業とかお金の使い方について承認するかしないかを決めたりする決算特別委員会がセットとなって、約1ヶ月やる予定です。

 

慣れてきたかと言えば慣れてきた、慣れてないと言えば未だに慣れないしこんなの絶対に慣れるもんかと、そんな感じで3年近く区議会議員やってます。始めの頃と比べると『あれ?』と変わってきた感覚があるところもあるわけです。いい意味でも悪い意味でも。もちろん今でも結構怒られることあります。『正直過ぎるのヨクナイ』とか『生意気で何様だ』とか『良かれと思って言ったりやったりするな』とか。その中でもやっぱりクオリティNo. 1のお小言は『お前はただでさえ頭が高いんだからヒザを曲げてお辞儀するとかとにかくこの世のあらゆる方法で縮む努力をしろ』ですかね。

 

小倉りえこ175cm、ボケーッと立ってるだけで頭が高いと。そこはどうにもなりませんごめんなさい。膝曲げてお辞儀して腰バキっていわしてつんのめって恥ずかしく転ぶ可能性のある腰痛持ちです、そこだけはご勘弁願いたい。ちなみに膝も若かりし頃から曲げるたびにミシミシいいます。

 

あっ背の高い人にとって『バレーボールかバスケットボールやってたの?』という質問は人生で避けて通れない質問です。この質問が来るたびに、屁理屈さんである私はよく考えます。部活とかそういう程度でバレーバスケやってましたで満足してもらえるのか、それとも実業団でやってましたくらいじゃないと満足してもらえないのか、さあ質問者の意図はどっちだ。いやいや、わかってます、社交辞令程度の質問ですよね。

 

本当にバレーバスケやってた人への質問としては最適なんでしょうけど、どちらもご縁がない人ももちろんいるわけです。ああそう言えば昔はよく言ってました、『背の高い人へのその質問って、ふくよかな人にどこの部屋で新弟子やってたの?と聞くようなもんですよぅ』と。うむ、我ながらヒドい返し。

 

『良かれと思って』がアダとなることもあれば、そうでもないこともあるわけです。良かれと思って言ったことやったことがイラっとされることがあるわけです。これもいわゆる『地雷を踏む』に当てはまるんでしょうけれども。言うと言われる、言われたら言う、ああなんて不毛なループ。

 

え?なんの話かって?議会での質問ですよ、質問。し・つ・も・ん。バレーボールとバスケットボールと新弟子の話じゃなくて。

 

『良かれと思って難しいこと質問して役所困らせるんじゃないよ』とか、『役所に嫌われたら何にもしてくれなくなるんだろ?見てればそんなのわかるよ』とか、『とりあえずバカみたいに役所褒めちぎっておけよ』とか、いやいやほんと町のみなさんはよく見てますね。

 

前にね、これだけは言わしてもらいたいのて是非ご検討くださいって感じの具体的な提案をしたことあるんですよね。一問一答形式じゃひとつも先に進まないので『何々をこういう風な感じでご検討ください、じゃ質問おわります』っていうカタチを取ったんですよ。そしたら『小倉りえこって酷いんだよ、質問に対する答弁すらさせないんだから』という役所サイドの文句も聞いたことあるし、それに対して『答弁という名の言い訳なんかさせる必要もないからあれでいい』という役所サイドの感想も聞いたことあるし、なんでしょうね『良かれ』って。

 

そんなこんなで色々と悩みながら、まもなく来月から始まる議会のための一般質問と決算特別委員会の質問をまとめる作業開始。『良かれる』か『良かれない』か『良かれさせられない』か、もう日本語レベルで色々と良ろしくない。

マイノリティーの中のマイノリティーはマイノリティー?マジョリティー?

だいぶ前になりますが、友人と色んなことをお話してた中で、ここ最近の国内における世間一般でいうところのいわゆる『多様性』的な話になり、つまりは何となくみんな知ってるようなそうでもないような感じになってる『LGBT』について。結論として『日本ってなんか進めようとしている方向おかしくね?』です。や、前にも自分で感じてた疑問を綴ったことあったんですけど、最近さらに違和感を感じるようになってきました。なんだろうか。や、別に色んな意見があっていいとは思うんですよ、肯定的であれ否定的であれ。

 

数ヶ月前のことですけど、色んなニュースをチラ見してたら、その手のジャンルの話題の中で『パレード』『破局』が挙げられてましたよね。そういうことも重なってなんかしばらく経った今の時点で思ったこと感じたことをまとめて備忘録にしていこうと思った次第。

 

まず、パレードについて。東京でやってるのは聞いたことあったので知ってたわけですけど、なんか時期を勘違いしてたようで。ニューヨークだと6月の最終土曜日かなんかだったんですよね、確か。だから全世界でゲイプライドは6月だと思ってた。アメリカだけか。すいません偏った知識と経験で。あ、あと日本では『ゲイプライド』って言わないんですね。

 

あ、ニューヨークのゲイプライド行ったことあります。だいぶ前だけど暮らしてた頃に。お友達に誘われてちょっと混ざって歩いてみたりとかね。なんかもうお祭り状態で、とてもカオスだった記憶。あれですよ、過去の遠い記憶ではお神輿かつぐ的な感じで途中から入ったり出たりとかできてた気が。Lの団体とかグループとかのとこだったんですけど、歩いてると前の方から伝達というか伝言というかが流れてきたんですね、『あと何ブロックのxxストリートの交差点で脱いで!』とか。

 

あれですよ、おっぱいぺろーんを指示されるんですよ。ぺろーんですよ。しなかったですけど。あちらサイドのお友達もしなかったですけど。

 

で、パレード途中抜けしてお茶してる時かなんかで『ぺろーんって身体的なセクシャル全開を許容されることがみんなの願いなの?LとかBはみんなああだと思われていいのかしら?』という話に。そしたら『Lが全員ああいうことして自分のアイデンティティーをアピールしたいわけでもないし、そういうのに嫌悪感を感じるLもいる。そういう団体・グループに文句言う人達もいる』

 

と、どちらかというとサラシを巻くようなLとBとTじゃなくてQのハザマにいるようなお友達が言ってたことが今でも頭の片隅に残っているわけです。つまり、ヘテロvs非ヘテロだけのアレというわけでもないということで。中も色々ややこしいらしいであります。

 

別のGのお友達はですね、『権利をどうのこうの言う少数のアクティビストの声が大きすぎて周りに迷惑かけないで欲しい。みんながみんなそういうこと求めてないから一緒にしないで』と頭を悩ませる人々も多いというし、なんか本当に色々ですわ。『LGBTでもLGBTQでもSでもAなんでもいいけどさ、ひとくくりにされることも好きじゃないし、ひとくくりにされたとしてもその中で異なる属性同士で100%仲良くなるわけがないし、お互い嫌いあってるところも無くはない』と、中に更なるややこしさもあるらしいであります。

 

LGBTQ的な枠でくくられるのを嫌がるLGBTQな方々、マイノリティーの中のマイノリティーのご意見もごもっとも。そんな話を見聞きしてると、ヘテロの中でも色々あるなあということをなんとなく。そんなアレについては今回こんな感じ。次はくっついた離れたの話。

 

その手の話になると必ず『パートナーシップ証明書』のお話がでてきます。最近よく思うのが、今の同性婚が認められない日本においてこの証明書がもし茶色の紙的なものだとしたら、緑色の紙的なものはどうなんだろうか、と。や、緑色でも茶色でもないんだけど、この手の話でこの手の書類の立ち位置のものをあえて何かに例えるとしたらという程度で。ずっと前から気になっていたのが、『解消したらどうなるの?』ということ。

 

出してるところの自治体みたら、『解消した時は返却』ということみたい。その際にはちゃんとお届けされてるんだろうかと少し気になるのは、お役所のお仕事というのを間近で見るようになったからなんだろうな。ああ…こういう視点ってどうなんだろ…いいんだろうか悪いんだろうか…わかんない。権利と義務という言葉が交互に頭の中をチラつくわけ。

 

お勤め先によっては結婚して家族を持ってからじゃないと『なんとか手当』『なんとか扶養手当』とか、その手のベネフィットで補填するため基本給を上げないようなところもあるし、結婚して世帯主になると急に手当がついたり、独り者ではなくなる瞬間から急に扱いが変わることも少なくないんでは。なんでしょう、結婚のメリットって金かよみたいな感じあるんですよね。そうすると例えばヘテロの事実婚とか内縁のどうのとか偽装結婚とかはどうすりゃいいの。

 

『公式なパートナーという配偶者』という立場の人がセットで初めて一人前とみなされるような、そんな日本社会。セクシャリティがなんであれ、ヘテロのシングルにも影響が大です。結婚しないと変に思われる、周りが勝手にLGBTQだと想定した扱いを…ああこういうのソンタクって言うんでしたっけ。だって日本は他人に間接的に干渉したがりますから。迷惑なほど。いい迷惑と悪い迷惑ありますね。世間体と同情のハザマに日本文化はあるような気がします。いいか悪いかは別として。

 

だから結婚というカタチにこだわらなければいけないのかなあと、そんな感じにも思っちゃったりします。偽装結婚とかね。仮面夫婦なんて言葉もありますね。子供がいるかいないかという正義の剣を振り回す人もいますね。人権が〜とかセクシャリティが〜とか関係なくなってきますよね。そう考えると世知辛い世の中です。

 

戸籍制度があるからこその何かだと思う時があるんですよね。いいか悪いかは別として。こんなことどうでもいいと感じる人もいるかもしれないけど。戸籍ってなんでしょうね。アメリカなんか住民票的なものすらないですしね。そこの州の住人だよ〜って証明書的なモノは確か例えば銀行からの証明書とか、運転免許証とか、車の保険だとか、医療機関からの証明書とか、選挙登録とか、公共料金の請求書とか。

 

ま、なんにせよ、13人に1人というセクシャルマイノリティー数字の根拠は『その分野はこれから儲かる可能性あるで!』をそもそも最初から目的としているビジネス向けのマーケティング視点であろうことを継続して疑問視していきたいわけなんですけど、最近はあまり前面に押し出すことも少なくなってきたようでちょっと良かったかなとは感じてますが、ヘテロのシングルにも何らかの何かが求められているんだよなあなんて感じちゃった次第です。

 

あ、最後までちゃんとお読みになってくださった方は、区別をしたがってるわけでも差別をしたがってるわけでもないというのをご理解いただけたと思います。伝わってなかったら文章がわかりにくくてすいません。ニワトリが先か、タマゴが先か、進んで『枠』とか『柵』を設けようとすることで誰がハッピーになるのかしらね。難しすぎてわかんねっす。でも『カミングアウトをしなければ生きていけない世の中に苦痛を感じる』という声がでなければいい。願うのはそれだけ。

北海道はでっかいどう 喜茂別町編

夏の北海道の続き。前回綴りました北海道医療大学があるのは当別町、札幌から車で40分くらいのお隣町。次に向かいましたのが札幌から車で1時間半ちょっとくらいのお隣のお隣のもうちょっとお隣くらいな喜茂別町。1年越しくらいでやっと行くことができました。喜茂別町、何がすごいかって『町中をまるっとICTで繋いで先駆けて色んなものを情報共有』してるところだからです。大学の教授と地域包括ケアで色々な話をしている中でこのことを聞き、やっとのことでこんにちは喜茂別町。

 

 

蝦夷富士とも呼ばれる羊蹄山の麓。喜茂別町の特産アスパラガスです。人口2,199名、世帯数1,222。昨年に喜茂別町100周年を迎えられ、マスコットキャラクターは耳が特産品の緑と白のアスパラの『ウサパラくん』。

 

よく色んな人に『視察行って何の役に立つの?』とか『港区とは対極みたいなところ行って何か学ぶことあるの?』とか聞かれるんですが、そうですよね聞きたくもなりますよね。費用対効果、何の成果に繋がっているのかが見えにくいところありますもんね。ま、これはもう個人の問題だと思います。何かに繋げたいと考える人もいればそうでもない人、先進事例をそのままそっくりどうにかしたい人とそこから何か別のこと考えたい人。ま、出来はどうであれ結果はどうであれ、どちらかというとすごく考えたい方です。

 

そういうことは今回さておいて。

 

喜茂別には町立クリニックがあります。行政管轄から民間へというよく聞く話から逆行してるのは結構珍しいことだと思います。町立クリニックができた経緯を簡単にすると、人口過疎・医療過疎・元々あった病院が撤退⇨医療施設無くなっちゃう・それは困る⇨そうだ町立にしよう⇨行政できることに限りがあるから実績のあるところが指定管理で⇨建物にクリニックと病児・病後時保育園・図書室・役場機能・スポセンのような施設。宿泊所を併設(←今ココ)。

 

喜茂別町は『テレビの地デジ化に併せて町内ほぼ全域に光回線を引いてテレビ電話機能をつけて、遠隔で健康相談事業』というのを始めたのがH23年。高齢化とか気薄なコミュニティとか公共交通とか医療過疎とか、そういう課題を地デジ化対応に乗っけたと。ひとつの町だけだと費用もかかるので連携できる自治体と一緒になって初期費用を抑えたりだとか、色々ご苦労されたと聞きました。この時から将来を見据えたICTというか情報技術というか、活用方法を試行錯誤しながら取り入れていったということです。正直にすごいなあと思います。

 

喜茂別町長さん、喜茂別町議会議長さん、役場の担当課の方、保健師さん、社会福祉士さん、大学の教授も交えて色んなお話しました。保健医療を中心にICTと情報共有体制が構築できつつあり、これからはそこを行政情報とどういう風に連携していけるのかというところを模索していくんだと。保健師さん曰く、人によって聞いてる話が違ったり、何がどう正確なのかわからないことから正しい情報共有って必要だよねというところが現実味あるお話だったわけで。『町民げんきカルテ』というシステムを作って、必要な人に必要な支援を必要な時に必要に応じてサポートしましょうと。

 

始めのシステムはシンプルでいい、その後の修正が大切だ』、喜茂別町の大胆に言い切れる姿勢が素晴らしいと率直に思います。ほら、今の時代って『とりあえずやりました』的なことだけ評価されがちなところあるじゃないですか。それはそれでいい時もあるわけですけど、最初からアレコレ盛りだくさん持っちゃいますよね。そんで目的を失念して失敗するパターンもあるわけで、でも失敗とはなかなか認めない。…自分に刺さる言葉のようで苦しくもあるけども。

 

『健康づくりは生まれた時から』ということから、人口流出はあれど流入の少ない地域において、個人のライフステージに合わせた環境の変化を行政は理解しているという感じです。で、それをばっちりのタイミングで色々と支援をしていきたいと、そういう風な行政の役目というものを感じ取れます。例えば地域包括ケアのようなものであっても、港区は高齢者を中心とした医療介護と今の時点でなってますけど、喜茂別はもっと先のステージと思われる子供の教育とかそっちまで展開を考えていると。要は『地域共生』をどう考えるかによって色々方向は変わってくるわけですよね。喜茂別町だからできることがあるのならば、港区だからできることもあるわけですし、それってなんだろうとこれからも考えていきたい感じです。色んな物事を正しく理解しているかどうかはまだ自信ないわけですけど。

 

医療介護連携はちょっとおいといて、港区で独居高齢者とか高齢者じゃなくとも色んな意味で孤立している方々をICT活用でどうにかできないものかとちょっと思ってみました。若くとも独身でなんらかの何かが必要な方とかいらっしゃるでしょう。ただ、行政が介入することが迷惑だ厄介だと感じる人も少なからずいるわけだし、自助/互助がすごく上手にできているわけでもない都心だし。うーん難しい。

北海道はでっかいどう ナースプラクティショナー編

海外生活をしていた頃、帰国の度に東京タワーをみて『帰ってきたわー』と感じていたわけですが、札幌の方もひょっとしてテレビ塔をみる度に『帰ってきたわー』と感じるようなランドマークなのかしら。そんなことをふと考えてみたり。そんなわけで北海道に行ってきました。

 

ナースプラクティショナー』という言葉を初めて聞いたのは若くてぴちぴちだった20数年前。そういう勉強というか研究というかをやってる人と知り合いになり、20数年経って今となってはその人は日本のナースプラクティショナー養成の第一人者に。

 

ナースプラクティショナーとは、例えばアメリカでいうと…お医者さんと看護師さんの中間のようなポジション。診断もしますし投薬もしますし、お医者さんの指示がなくとも自分の判断で医療処置を行える、一般の看護師さんのお仕事権限をちょっぴり拡大したような上級看護師さんのようなお仕事のことを言います。日本ではナースプラクティショナーはありませんけど、2年ほど前から『特定看護師さん』という似て非なるポジションができました。『特定行為研修を修了した看護師さん』を指すわけです。ナースプラクティショナーは国内においては今も昔も賛否両論です。知ってます。

 

まず、なんでこういうポジションが必要になるのかという検討されてきた経緯を簡単に。『2025年にいわゆる団塊の世代と呼ばれる層が75才以上の後期高齢者になって、保健医療とか社会保障がばばーんと跳ね上がるよ』ということとか、『医療費削減とかなんだか理由をつけがちだけど、高齢者が増えるし病院ベッド数とかの問題もあるし要は在宅シフトせざるを得ないんだよ』ということとか背景にありまして、そこで活躍が期待される訪問診療・訪問看護の観点からアメリカのナースプラクティショナー制度が参考にされてきた、と聞いてます。

 

ただ、法律も文化も事情も保険体制も異なるものをスッと導入できるわけもなく、いろんな話し合いが行われた中での妥協点が、『特定の行為について研修受けた看護師さんなら、チーム医療の一員としてお医者さんの指示のもとで患者さんごとに手順書とか役割分担とかしっかりさせて、そういうことでいいんちゃう?』となったわけです。その研修制度なものが法律的にもスタートしたのが2015年10月。確かそんな感じ。

 

北海道医療大学大学院。北海道で唯一、国内では3番目のナースプラクティショナー養成…もとい経験ある看護師さんに特定行為研修を行う教育機関。いろいろとごっちゃになるのでここでは『特定看護師さん』に統一しますね。

 

そんな特定看護師さんの存在、色々と意見は色々な業界からありますが、活躍でやはり期待されるのが訪問看護業界。近い将来必ずやってくる超高齢化社会なわけですが、よく介護予防とか言葉を聞くでしょう。正しい表現は難しいですけど、要は先手を打って病気にならないような健康づくり(トレーニングとかエクササイズとか健康意識を高めましょう)とか、健康診断をしっかり受けて早め早めに必要なら治療しましょう(健康意識を高めましょう)とか、行政側が呼びかけることは限られてます。

 

あんまり大きい病院にかからないようにできる部分は努力しましょうね、という根っこの部分はあまり触れられなくとも、とにかく人口に対して患者さんとの比率というもののバランスが取れなくなってくるわけですよ。表現はアレですけど、すっごくわかりやすくいうと『病院で死ねなくなるかもよ』です。そこを在宅医療だとか訪問医療だとかで病院以外でカバーできるものはやろうじゃないですか、というのが地域包括ケアシステムの概念です。多分。だから特定看護師さんという存在がフィーチャーされてきたと思われます。多分。

 

特定行為に関わる看護師さんの研修制度、法律的に許可というか認定されたのが21区分38行為。大まかにわけで21項目、その中でひとつなり複数なり下の項目がある38行為。どういうものかというと、例えば栄養カテーテルに関わるものとか、体液出したりするドレーンに関わるものとか、床ずれ的な褥瘡(じょくそう)の処置とか、点滴とか感染症とか糖尿病の血糖コントロールに関わるものとか。プライマリーケアに関わるものが多いです。ちなみにこの21区分38行為以外については、お医者さんから具体的指示があれば研修とかなくとも実施してよい的なこともあり、研修制度が必要になる理由というのがよくわからなくなることもありますが、まぁ難しいことはさておいて。

 

そんな特定看護師さんと呼ばれるようになるためには、半年〜1年くらいの期間で特定の場所で研修を受けるか、大学院に通うか。経験ある看護師さんを対象としているわけですから、大学院修士レベルが相当ということらしいです。高度知識と高度技術、論理的思考で正しく適正な治療またはケアができるよう、そういうお勉強が必要となります。業界内で賛否両論いろいろあるようですけれど、そういう幅広い知識と思考力と実践力というものを併せ持った認定看護師さん、2025年までに10万人という計画があったそうですが、『とりあえず研修すればいいや』な類のものではありませんのでなかなか難しい。

 

心臓疾患患者シミュレーターのイチロー君。いろんな病気の心音だったり呼吸音だったりを再現してくれるお高い優れもの。こういうのも使って医学的にも論理的思考、判断力を培うお勉強もされるわけです。私も色々聞かせていただきましたが、よく考えたら異常な雑音聞く前に正常の音を知らないから区別つかんわ。なんか違うのはわかるけど、それが何だかさっぱりわからないのは素人だからです。

 

2025年問題に向けて、看護師さんに関してはふたつの両極端な可能性があると言われています。ひとつは『病院での就職難』、そしてもうひとつは『病院以外の大きな需要』。前者は診療報酬とか患者さんに対する看護師の配置数が云々的なやつで、病院がたくさん看護師さんを必要としなくなる状況がでてきてしまうかもしれないということ。それと同時にこれからの時代は看護師さんの役割というのがとても大きくなるわけで、病院以外で需要があるというか存在が必要となるというか、そういう世の中になっています。

 

『医療的に専門の人がひとりでもいるようにしたらなんか安心だよね、お医者さんだと色々アレなので、じゃあとりあえず看護師さんでも』

 

色々なニーズがでてきているこの世の中、対応をせまられる行政もそんな感じの風潮があるように感じます。今の世の中、保育園とかそういう感じになってますよね。保育園だけじゃなくともだけど。

 

看護師さんって色んな意味で大変な職業だと思います。企業でも公務員でも保育園でも病院でも在宅医療でも、ある意味よりスーパーマルチな方面で活躍できるすごい職業です。ただし『看護師』という国家資格の看板が何よりも先にでている印象で、なんでもかんでも看護師さんがとりあえずいればみんな文句ないだろう的なモノの考え方があるようなそうでもないような。人材を求める側も求められる側も。

 

そんな中で認定看護師さんはこれからどのように育成されて、どのようなニーズで世の中で活躍されるのかとても気になるところ。医療過疎というよりは医療密集の港区において、私個人としてはこれからどのように看護師さんという存在を確保して、より良い港区の医療体制に繋げていってもらえるかというところの行政の手腕に期待をしております。