『わたしは』インプレッション

議会の質問というやつはなかなか奥深く、しかも触れられたくないとこにあえて触れたりするのでなんとなく慈悲深く、とかいってブラボー・ハラショー連発するなら罪深い。誰に対して何を話すんだというところが人それぞれ違うわけです。

 

区長に言葉にしていただきたい質問

区長・副区長によく聞いていただきたい質問

職員さんに聞いていただきたい質問

区民のみなさんにアピールするための質問

職員さんにこの機会に役立てていただきたい質問

ただ言いたいだけの質問

所属政党のための質問

触れることが重要な質問

フォローアップのための質問

良かれと思ってする質問

 

などなど、キリがないくらい色んな意味を含んだ質問があるわけでしょう。多分ね。で、議員の色んな意図を含んだ回答と同じ数だけ、行政から色んな意図を含んだ回答があると。多分ね。

 

その中で少なくとも、『他の誰でもなく自分のため』の質問というものは見分ける・聞き分けるポイントがあると思うんですよねえ。多分ね、主語じゃないかなって思うんです、多分。

 

日本語って便利だと思う反面、ちょっとズル賢い言語だなって思うことがあります。だって主語がなくとも文が成立するじゃないですか、日本語って。

 

お腹が空きました。

 

この一文でとりあえずお腹空いてるのがわかりますよね、誰かのお腹がぺこぺこ。例えば英語にしたら『I am hungry』、スペイン語にしたら『(Yo) tengo hambre』と、1人称か2人称か3人称かスパッと一目でわかる文法になっておりますので、とりあえず自分のお腹がぺこぺこになりますが、日本語だとわからんもの。

 

『わたしは』って言う一人称、これを多発させるとものすごい自分中心に聞こえるんですよね、これ不思議なんですけども。自分のために強調するために主語を置く言語、それが日本語。

 

お腹が空きました。

わたしはお腹が空きました。

わたしは、お腹が空きました。

 

これだけでもなんか違う。なんか、ね。これが議会質問ぽい表現になると、これまたね。

 

~って私は思いますけども、~って私が個人的にそう感じたんですけども、こういう文中の『わたしは』の使い方だと何となく奥ゆかしくなるのも不思議。いや、なんとなくのニュアンスですけどね。

 

あっちなみに『われわれは』の場合、『お前と一緒にするな』という否定の声も聞こえてきそう。個を出すと嫌がられ、集団を出しても嫌がられ、いやん困っちゃう。扇風機の前でワレワレハ宇宙人ダ、そんなくらいのニュアンスなら微笑ましいと思われるに違いない。 

 

あっ、次回は『こういう質問をしたらこういう答えが返ってきたよ』です。