マイノリティーの中のマイノリティーはマイノリティー?マジョリティー?

だいぶ前になりますが、友人と色んなことをお話してた中で、ここ最近の国内における世間一般でいうところのいわゆる『多様性』的な話になり、つまりは何となくみんな知ってるようなそうでもないような感じになってる『LGBT』について。結論として『日本ってなんか進めようとしている方向おかしくね?』です。や、前にも自分で感じてた疑問を綴ったことあったんですけど、最近さらに違和感を感じるようになってきました。なんだろうか。や、別に色んな意見があっていいとは思うんですよ、肯定的であれ否定的であれ。

 

数ヶ月前のことですけど、色んなニュースをチラ見してたら、その手のジャンルの話題の中で『パレード』『破局』が挙げられてましたよね。そういうことも重なってなんかしばらく経った今の時点で思ったこと感じたことをまとめて備忘録にしていこうと思った次第。

 

まず、パレードについて。東京でやってるのは聞いたことあったので知ってたわけですけど、なんか時期を勘違いしてたようで。ニューヨークだと6月の最終土曜日かなんかだったんですよね、確か。だから全世界でゲイプライドは6月だと思ってた。アメリカだけか。すいません偏った知識と経験で。あ、あと日本では『ゲイプライド』って言わないんですね。

 

あ、ニューヨークのゲイプライド行ったことあります。だいぶ前だけど暮らしてた頃に。お友達に誘われてちょっと混ざって歩いてみたりとかね。なんかもうお祭り状態で、とてもカオスだった記憶。あれですよ、過去の遠い記憶ではお神輿かつぐ的な感じで途中から入ったり出たりとかできてた気が。Lの団体とかグループとかのとこだったんですけど、歩いてると前の方から伝達というか伝言というかが流れてきたんですね、『あと何ブロックのxxストリートの交差点で脱いで!』とか。

 

あれですよ、おっぱいぺろーんを指示されるんですよ。ぺろーんですよ。しなかったですけど。あちらサイドのお友達もしなかったですけど。

 

で、パレード途中抜けしてお茶してる時かなんかで『ぺろーんって身体的なセクシャル全開を許容されることがみんなの願いなの?LとかBはみんなああだと思われていいのかしら?』という話に。そしたら『Lが全員ああいうことして自分のアイデンティティーをアピールしたいわけでもないし、そういうのに嫌悪感を感じるLもいる。そういう団体・グループに文句言う人達もいる』

 

と、どちらかというとサラシを巻くようなLとBとTじゃなくてQのハザマにいるようなお友達が言ってたことが今でも頭の片隅に残っているわけです。つまり、ヘテロvs非ヘテロだけのアレというわけでもないということで。中も色々ややこしいらしいであります。

 

別のGのお友達はですね、『権利をどうのこうの言う少数のアクティビストの声が大きすぎて周りに迷惑かけないで欲しい。みんながみんなそういうこと求めてないから一緒にしないで』と頭を悩ませる人々も多いというし、なんか本当に色々ですわ。『LGBTでもLGBTQでもSでもAなんでもいいけどさ、ひとくくりにされることも好きじゃないし、ひとくくりにされたとしてもその中で異なる属性同士で100%仲良くなるわけがないし、お互い嫌いあってるところも無くはない』と、中に更なるややこしさもあるらしいであります。

 

LGBTQ的な枠でくくられるのを嫌がるLGBTQな方々、マイノリティーの中のマイノリティーのご意見もごもっとも。そんな話を見聞きしてると、ヘテロの中でも色々あるなあということをなんとなく。そんなアレについては今回こんな感じ。次はくっついた離れたの話。

 

その手の話になると必ず『パートナーシップ証明書』のお話がでてきます。最近よく思うのが、今の同性婚が認められない日本においてこの証明書がもし茶色の紙的なものだとしたら、緑色の紙的なものはどうなんだろうか、と。や、緑色でも茶色でもないんだけど、この手の話でこの手の書類の立ち位置のものをあえて何かに例えるとしたらという程度で。ずっと前から気になっていたのが、『解消したらどうなるの?』ということ。

 

出してるところの自治体みたら、『解消した時は返却』ということみたい。その際にはちゃんとお届けされてるんだろうかと少し気になるのは、お役所のお仕事というのを間近で見るようになったからなんだろうな。ああ…こういう視点ってどうなんだろ…いいんだろうか悪いんだろうか…わかんない。権利と義務という言葉が交互に頭の中をチラつくわけ。

 

お勤め先によっては結婚して家族を持ってからじゃないと『なんとか手当』『なんとか扶養手当』とか、その手のベネフィットで補填するため基本給を上げないようなところもあるし、結婚して世帯主になると急に手当がついたり、独り者ではなくなる瞬間から急に扱いが変わることも少なくないんでは。なんでしょう、結婚のメリットって金かよみたいな感じあるんですよね。そうすると例えばヘテロの事実婚とか内縁のどうのとか偽装結婚とかはどうすりゃいいの。

 

『公式なパートナーという配偶者』という立場の人がセットで初めて一人前とみなされるような、そんな日本社会。セクシャリティがなんであれ、ヘテロのシングルにも影響が大です。結婚しないと変に思われる、周りが勝手にLGBTQだと想定した扱いを…ああこういうのソンタクって言うんでしたっけ。だって日本は他人に間接的に干渉したがりますから。迷惑なほど。いい迷惑と悪い迷惑ありますね。世間体と同情のハザマに日本文化はあるような気がします。いいか悪いかは別として。

 

だから結婚というカタチにこだわらなければいけないのかなあと、そんな感じにも思っちゃったりします。偽装結婚とかね。仮面夫婦なんて言葉もありますね。子供がいるかいないかという正義の剣を振り回す人もいますね。人権が〜とかセクシャリティが〜とか関係なくなってきますよね。そう考えると世知辛い世の中です。

 

戸籍制度があるからこその何かだと思う時があるんですよね。いいか悪いかは別として。こんなことどうでもいいと感じる人もいるかもしれないけど。戸籍ってなんでしょうね。アメリカなんか住民票的なものすらないですしね。そこの州の住人だよ〜って証明書的なモノは確か例えば銀行からの証明書とか、運転免許証とか、車の保険だとか、医療機関からの証明書とか、選挙登録とか、公共料金の請求書とか。

 

ま、なんにせよ、13人に1人というセクシャルマイノリティー数字の根拠は『その分野はこれから儲かる可能性あるで!』をそもそも最初から目的としているビジネス向けのマーケティング視点であろうことを継続して疑問視していきたいわけなんですけど、最近はあまり前面に押し出すことも少なくなってきたようでちょっと良かったかなとは感じてますが、ヘテロのシングルにも何らかの何かが求められているんだよなあなんて感じちゃった次第です。

 

あ、最後までちゃんとお読みになってくださった方は、区別をしたがってるわけでも差別をしたがってるわけでもないというのをご理解いただけたと思います。伝わってなかったら文章がわかりにくくてすいません。ニワトリが先か、タマゴが先か、進んで『枠』とか『柵』を設けようとすることで誰がハッピーになるのかしらね。難しすぎてわかんねっす。でも『カミングアウトをしなければ生きていけない世の中に苦痛を感じる』という声がでなければいい。願うのはそれだけ。