日本の歴史

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この季節になると、中学2年の時の社会の授業を思い出します。日本史に初めて触れたものの、近代史まで行き着いた記憶がない社会の授業です。1時間潰して特定アジアについて熱弁を振るわれた理科の授業も今ついでに思い出しました。

何で近代史の記憶が無いんだろう。薄っぺらい中身だから覚えて無いだけなのかもしれません。授業を真面目に受けてなかっただけなのかもしれません。そもそも学んでないという線も捨てきれない。わからない。どっちだろう。

学生時代の私自身の修学度(そのコトについてどれだけの知識があるか)は間違いなく

江戸時代まで >> 明治以降

明治以降はもう最低限の常識程度しか。いかん。

そこで私はずっと前に思いました。この日本の素晴らしい長い歴史、1年間の尺が足りなくて近代史まで追っつかないのではないかと。だから2月とかはもうやっつけ仕事のように取りあえず読み上げるだけみたいな。そして更に、縄文時代弥生土器に長い時間割きすぎじゃないのかと。竪穴式住居に時間取りすぎなんじゃないかと。

(´-`).。oO(過去の個人的な見解です…

さて、日本の歴史において昔からよく疑問に感じていたことがあります。クイズやテスト問題にあるような穴埋めの『年』とか『事件』とか、どこまで覚えなきゃならないんだろうかと。

日本語の素晴らしいところ、それはなんと言っても語呂合わせ。多分こんな言葉遊びができるのは日本語以外の言語は無いのではなかろうかと。

ひとよひとよにひとみごろ。

これはルート2。

いい国作ろう鎌倉幕府。

1192年だか1185年だか、教え方が変わってきているようで。

そんな事はさておき、いついつにこういう事が起こってねという事実を知るのはとっても大切だとは思います。でももっと大切なのは『西暦何年かはもうどうでもよくて、どういう経緯で何がどうなって、これこれこういう理由であれがこうなった』という流れなのではないかなと強く感じるようになりました。

アメリカの高校でアメリカ史を習いました。建国200年ちょい、日本と比べたら10分の1以下。中間や期末テスト問題はテーマとノート冊子を与えられてのエッセイ、つまり小論文。『ボストン茶会事件について』とかそういうの。それまでの国内外の背景、たくさんの人物、考えられる様々な要因を踏まえて物語のようなストーリー解答を求められるわけです。自分の文章で。

日本の近代史というか、ここ100年くらいの出来事というのは、国内だけではなく国外の要素も大きく関わってきます。正しい歴史認識を統一する必要があるかどうかは別として、これからの日本に必要な歴史教育というのは、『何故』という要素要因をたくさん教えて、考えさせる方がいいのではないかとも思います。

例えば、日本で平和について考えるといったテーマには必ず『戦争』と『原爆』がつきものです。日本が世界で初めての原爆被害にあったという事実も過去も変えることはできません。是非とも『何故日本は開戦したか、せざるを得なかったか』を多方面から教えることも忘れずにお願いしますです。

戦前の日本と戦後の日本を学んで比較して、それを考えることでこれからの平和にも繋がるのではないかとも。

70年、比較的最近のことです。10年20年前の事も『あんなのつい最近の事よー』と感じてしまうお年頃になりました。例えば消費税が初めて導入されたのも『ついこないだ』のよう。小学生ではなかったような、既に平成になってたような、そんな時期。

消費税というものがまるでなかった時代からいきなり3%(当時)という数字がでてくることになり、そして『10円のチロルチョコを1つ買う時の消費税はどうなるんだ!』と全国の小学生が計算機を手にとってざわざわした事。

それが正確に西暦平成何年だったかは今の私にそこまで重要ではないけれど、チロルチョコ論争がコッソリとあったことは絶対忘れない。それも日本の隠れた歴史。