さて、教育費。ここしばらくモヤモヤしている事を質問しました。そう、本村小学校裏手の斜面に広がる本村町貝塚について。この貝塚の地にマンション建設計画があるわけでして。モヤモヤしています、モヤモヤ。
坂の多い港区の中、これまた比較的坂の多い南麻布3丁目、その一角にあるのが本村町貝塚。向こう側に向かって原っぱ的なものが続いておりまして、その向こう側がどうなっているかと気になる感じでしょう。台地の上か下かで考えたら上の景色。
下から見上げるとこんな感じになってまして、傾斜がついている台地の斜面です。
あっ、今は今後行われるであろう試掘調査のため草とかが刈られてましてこんな感じに。
1. 本村町貝塚の認識について
Q. 南麻布3丁目の本村小学校の裏手にある台地の斜面に本村町貝塚という遺跡があります。台地の斜面一帯が貝塚として知られ、古くは1930年代から発掘調査が行われてきました。その一角にある東京住宅公社の敷地の中に港区教育委員会が設置した看板がありまして、開発も進んで貝塚遺跡を伝える場所はわずかながらここだけになってしまいましたと記されています。その看板が昭和48年に立ち、平成19年に立て替えられています。港区にとってこの一帯は貝塚なのか貝塚痕跡なのか、そしてそれは遺跡なのか遺跡ではないのか、どのように認識されているのかをまず伺います。
A. 本村町貝塚は文化財保護法に基づき、『遺跡』として東京都の遺跡地図に搭載しており、現時点では東西約150m、南北約75mにわたる楕円形の遺跡であると認識しております。また、遺跡の種別は『貝塚』として登録されております。
⇨ (´-`).。oO(登録されてるのは東京都であって、港区ではないんですね?そして港区は遺跡として認識をしていると。わかりました…)
2. 港区埋蔵文化財取扱要綱について
Q. 港区埋蔵文化財取扱要綱では試掘・確認調査の実施指導を教育委員会が行うとしています。開発者に対する指導や助言・試掘調査・発掘調査・その結果による出土品について取り決めはあります。でも、遺跡そのものについて港区はどうしたいか、港区の意思がこの要綱の中には含まれていないように感じますがいかがでしょうか?
A. 港区埋蔵文化財取扱要綱は、文化財保護法に基づき埋蔵文化財に関する取扱を明示したもので、港区内の埋蔵文化財の保存及び活用を図ることを目的としております。試掘調査等で遺跡が発見された場合は、埋蔵文化財の残存状況等に応じ、発掘調査への指導や保存に必要な協力を開発者に求め、埋蔵文化財の適切な保存及び活用を図ることとしております。これまでも港区埋蔵文化財取扱要綱等に基づき、芝丸山古墳の保存や伊皿子貝塚の貝層断面の標本での保存などを行っております。
⇨ (´-`).。oO(今、この貝塚がマンション建設で消滅しようとしています。今まで実施したことなかった場所の試掘調査をするとのことですが、その時何もでなかった又は貝殻1枚が出たとして、こういう状況の埋蔵文化財の取り扱いってどうするのか素朴に疑問に感じます。すでに港区は遺跡と認識しており、地域の方にとってはこれからもずっと遺跡であって、標本で保管すれば問題が解決するという簡単は話ではありません。港区はどうしたいのか、どうにもできないのか、どうにかしたいと思っているのかなど、不明な点をある程度クリアにして判断せざるを得ない状況だと思います)
⇨ (´-`).。oO(現在残っている貝塚とされている一帯は、民間の土地と、隣接して柵1枚で隔たれているだけの東京都の外郭団体の土地です。教育委員会が看板を立てている以上、行政は無関係とは言い切れないと思います。このままでいきますと10数年前のがま池の時と同じ状況です。本村地域の方々は今でもがま池のことをよく覚えています)
⇨ (´-`).。oO(今回のこの件に限らず、土地や開発に関係することの中では、港区の意思というものが欠落している印象が大きく、お住まいの方々に不安を与え続けていることは否めないという印象がとても強いです。自然と文化と歴史を守るために民間業者から土地を買うことも十分アリだと思いますし、そういう方法で守られるという最初の手段になっても不思議ではないと思います。民間地だから介入が難しいとしたがま池から学んだことはなんだったのか、この件はそういう視点で地域の方々は港区を、教育委員会を見ています。私には地域のみなさんの代表として声を伝えなければならないという役目がありますので、今回は埋蔵物取り扱いという観点で質問をさせていただきました…
⇨ (´-`).。oO(区民、地域に寄与するより良い方法を考えていただければと強くお願いをして、質問を終わります…)