そういえば思い出したこと

ちょこっと前に某地方市議会でやんややんやと世の中を賑わせたニュースだか報道がありましたよね。色々な人がいますね議会には。どこより多様性のカタマリですよ(ただしくだらない小競り合い付き)。

 

そんな報道しか流れない中で、とある事を思い出しました。2年くらい前ですかね、某新聞社から『初当選した女性議員のみを対象にしたアンケート』なるものが送付されてきたことがあったんです。当時、政府が掲げてた『すべての女性が輝く社会』もありましたし、『先進国での女性管理職の割合』という話題もありましたし、『女性の政治への参画』がちらほらと…いやずっとあったわけですけども。そこで女性議員が直面する問題を少しアンケートとって挙げてみて、何が女性の政界進出を妨げてるのか挙げてみましょうかや女性議員の現状を見出してみましょうという趣旨のアンケートがあったんです(多分)。

 

女性議員ならではの役割は何だ、女性議員としての苦労はなんだ、どうしたら女性議員が増えるだろうか、女性議員のメリットデメリット云々、そういう質問がわんさかありましてね。正直ゲンナリしたことを覚えてます。だってホラ『女性はツライよ』と結論付けたい目的が見えてたし。

 

なんか特定の応援をしすぎると、その枠は余計生き辛くなるような、そんな気がしないでもないです。

 

性別で役割を分ける意義ということにただ鈍感なのか、シビアな現実を受け入れたくないがために目を逸らしてきたのか、そこは前者でも後者でもごめんなさい。そこは個性です。

 

というか、個性って言葉を印籠のように使ってはいけないとは思ってるんですけどね。

今の時代はセクハラだ!モラハラだ!となんかあると多々騒がれますが、実は私個人的にはなんとも思っていません。あ、すみません嘘つきました。嫌だなというよりはまたかというがっかり感の方が大きい時が多々あります。ハラスメントというものは自分が嫌だと思えばその時点で成立しちゃうもので、これってつまり言った人が誰かにもよったりすることも多々あると思います。例えばAさんなら余計なお世話の延長線、Bさんなら何言ってもダメ、Cさんならただの会話の一部。そんなもんです。

 

例えばこんなやりとりがあったとします。

 

A「あ、xxってxxでしたっけ?」
B「ちがいますよ!全然場所離れてるじゃないですか!」
A「オンナという生き物は地理に疎いもんで。サーセン」
B「お…」
A「自分おっさんでした、申し訳ない」
B「」

 

このやり取りの中、今のご時世でアウトなのが多分いくつか混ざっとると思うんです。でも人によってはアウトの数は0かもしれないし、1とか2かもしれないし、ひょっとしたらAとBが会話することだけで世の中の不条理を表現しちゃってる許せない!かもしれないし。

 

色々、色々ありますね。

 

そうそう。とある委員会で請願審議がありましてね、自民党さんvsその他という構図になりました。

 

自民党さん『わからないこといっぱいですし大切な話ですよ。継続して審議していきましょうよ』
その他『ダメ!今決めるの!』
委員長『ハイ、多数決で継続審議は拒否されました。今決めて』
自民党さん『今決めるのはよくないと思うので、採択はしがたいです。ダメです、不採択』
その他『採択!』
委員長『ハイ、この委員会は多数決で採択』

 

個人的にも色々複雑な思いがありますけど、即決するのに判断材料と時間は足りないと感じてることは事実。当事者の中の反対意見もあることも事実だし、一概にひとくくりにしちゃいけないなと。

 

というか、色んなパターンの審議あります。逆の考えだってあるし。

 

多分どころか確実に色んな人たちが、『なんでわからないのかな』とお互い感じてるんだとは思います。あれですよね、映画の感想とかそういう感じ。奥が深いわ〜と感じてる人に対して笑いどころが少なかったからつまんなかったという人もいるし、つまらなかったという人に対して面白さが理解できないのはおかしいんじゃないかと、そういうことかな。理解と許容という点で。

 

ま、何が言いたかったのかと言いますと、ヒトって理解し合える生き物かどうか、理解し合えない生き物なのか。その場合の行き着く先はなんだろうか、答えのない難しいことをちょっと考えちゃったわけでした。おしまい。