最近は、『3回目はファイザーとモデルナどっち打とうかなー!』って考えてます。6ヶ月でも8ヶ月でも何でもいいけど、まずは医療従事者の方々終わるまで慌てないで待とうね。インフルは打ったお。
先週、年内最後の定例会が終わりました。
議会の中の御作法的なもの、正直なところ、何が正しくて何がおかしいのか未だにわからないままの(正しくは『理解ができない』)自分なわけでありますが、決して『慣れてしまった』と口が裂けても言いたくないのであります。なので『わっかりましたー!』と100%肯定することはなく、いつも何かしらにイチャモンつけて文句垂れる性悪な感じになってるのはそのせいなのかもしんないなあと、しみじみ感じる12月であります。
フォーエバー素人。だから常に反抗期。自分でも常に思います、ヤッカイだと。でも議員を『センセイ』って呼ぶナラワシは滅びた方がいい思うことだけは変わらず。議員同士でセンセイセンセイ呼び合ってる姿って超絶に滑稽。でも呼ばれたい人がいるのと呼びたい人がいるので、ある意味需要と供給がしっかりとマッチ。我、そこに入ラズ。
『んなもん、気分良くさせるためにそのくらいやったらどうだ』なんて言われる事もあるけれど、嫌なものは嫌ざんす。絶対呼ばないポリシー。
個人と会派
議会の中で、特に議会運営に関する不思議に『全会一致』というルールがあります。字の如く、全ての会派が同意見という意味で、『議員として選ばれしもの1人足りとも違う方向向いていたら、まかりならぬ』というルールです。1人というか、1会派。
その割には議決は多数決なんですけれどもね。
議会の中をこういうルールにしようよ、と誰かが提案したとしても、1つの会派が嫌ですぅと言ったらナシ。
何でしょうかね、議員定数を区民人口の少数サンプルとして、その議員全員がイエス又はノーである、いわゆる『少数サンプル100%の同意=区民の総意』みたいな感覚なのかしら。それがどれだけ重要なのか正直知らんけど。
その割には議決は多数決なんですけれどもね。
なので、なんか妥協案とかかけ引き取り引き(文字にすると非常に悪いことをしている印象)がない限り、全会一致にはなりにくいというのは個人的にとてもマイナスポイントなのではないかなっていつも思うんです。
『そんな規則、変えちゃえよ』
ここ数年、色んな不祥事とか不祥事とか不祥事とかありまして、色んな方から『なんでそんなルールなの?』とか、逆に『なんでルール無いんだよ』とか言われます。新しく作るにしても、おんなじ。1人でも異なる意見の会派があったら、まかりならぬ。そして会派の中でも結構モメる。10人10色。
その割には議決は多数決なんですけどね。あ、役所が出してくる議案を賛成反対するのと、議会の中で議員達がああするこうするは別扱いです。
全会一致じゃないと、申し合わされない
『議会運営委員会に関する申し合わせ事項』っつー17〜18年くらい変更なしのものがあって、ここによると『委員会の議事は第一号の規定の趣旨に沿って、全会一致で決するよう努めるものとする』と書いてあるんです。自分はこれを読んで思いました、国語が苦手な自分は思ったわけです。
『なんだ、努力したけど決裂の場合は全会一致である必要ないんだ』と。文字をそのまま読んだ自分です。どうもどうも。でも聞くところによると自分の理解は間違っているようで、『全会一致じゃないと』という見解しかなくて、うーんムズカシイネニホンゴって感じ。『決しなければならない』ならわかるんだけど。
なお、第1号とやらはこういうの。連絡調整をはかって円滑チャレンジ。
ま、『みんなで決めました』というのが必要なのかしらね。『オレらは反対なのにアイツらが勝手に強行しやがって!』みたいに喧嘩材料ばっか増やしても仕方ないし、なんか変な実績アピール合戦でみっともないエンドになりかねない危うさがあります。
自分で言うのもなんだけど、結構しょーもない小競り合いが見えないところで結構あったりします。なぜなら、みんな仲良くやろうよ、なんで1ミリも思ってない個の集まりだから。都合良い時はいい顔して、自分のために相手を蹴落とす。それが議員という生き物らしいですよ。あーやだやだ。
あ、ちなみに昨年のことにはなりますけれども、全会一致で『ある一定期間連続で欠席の人は議員報酬削減しようね』というのは決めました。時々はまとまることもある、うん。揉めたけど。
例えば意見書ひとつとっても。
『議会でまとめる意見をお前はどんだけ軽視するんだ』ということを言われてしまいそうなんですけれども、正直なところ『政党の思惑が絡みまくってる意見書は本当に区議会でまとめるべき意見なんだろうか』とか、毎回の定例会で感じるんですよ。
『ウチの政党のポリシーだから、これ意見書として出したい』
『いや、おたくの政党の考えはウチの政党と真逆だから』
まとまらず終了。
『頼むよ、出したいんだよ意見書』
『ここの表現をこうこうこう直してくれたら前向きに考えるけども』
『一言一句修正はまかりならぬ』
まとまらず終了。
『たまにはウチの会派からこういうの出したいんだけど。おたく出した意見書も何回か賛成してあげたでしょ?』
『それとこれとは別、考え方に賛成できない』
まとまらず終了。
この手のやりとりを眺めてるとですね、『意見書ってなんだろう』とどうしても感じてしまうんですよ。意見書を通したい理由というのが、極めてうんざりする類の政治的という印象が強かったり、はたまた『オレ、やったったぜ!これで一票!』な個人的な超絶アピールだったり、誰のためなのかなあって。思っちゃうんですよねえ。
『何もやってないと思われるのが嫌だから、なんかやってる感を出すのが意見書』ということも耳にしたことがあるわけで、ますますなんのこっちゃわからないもんであります。なお、出した意見書を受け取った側がどう対処しているのかな。地方議会、どちらかというと出したら満足しちゃうフシあるんじゃないか。
ま、そもそも、会派同士で意見が合わないどころか、会派の中ですら合わないことがほとんどですものね。同じ政党所属でもみんな別人格、思いを馳せることも考える未来も別。それでも会派によっては政党から当たり前のように指示のようなものがくるんだろうか、そのあたりはよくわからないんだけども。
なんだかんだ結構モメる
定期的に提出される請願というものもあります。慣例でみんなやるもの的なやつ以外、自分、基本的に請願に署名しての紹介議員にはならないポリシーです。そうなりました、前期でうんざりする目にあったので。
あっアイツひでえ冷てえ奴だな、って思われるかもしんないけれども、人には色んなポリシーがあるものです。例えば『会派とは違う考えだけど個人的に署名』とか、『出されるもの全てに問答無用で署名』とか、『知り合いだからルールを捻じ曲げてでも署名』とか、『票になるかもしれないから署名』とか、『何とも思わないけど言われるがままに署名』とか。なので別にアリだと思いますよ、全ての請願に署名しないポリシーの人がいても。
港区の自民党会派さん、前期初当選した時から自分が教わってきたのが『請願審議をする委員会に所属する議員は署名するべからず』です。ハッキリ覚えています。だって『審議前に署名したら賛成ってことだから、会派の意見云々は関係なくその委員会のいる議員個人の思いのままになって、会派の意味をなさないだろ?』と言われ、すごく納得したことを覚えてます。
時々あるんですよね、というかこないだの定例会でもありましたよ。会派の意見がまとまらなくて色々とすったもんだ的な。署名と審議の結論が異なる矛盾とか、議会の中にいる人は気になるもんです。
ま、会派の存在意義は未だに納得はしてないんですけどもね。素人だの議員経験が浅いだの、よくバカにされますけども。そりゃ、票に繋がる行動のみを追求するのが議員だみたいな常識なら、自分完全に素人っすわ。それで結構結構。頭オカシイ(お互いに)。
あ、平等に請願署名しなくなった一番の大きな理由は別にありましてね、『子供に関することだからウチは女子が全員が署名しとけ』とか言われたことがありましてね。なんなんだよその言い方!すげえなさすが自民党!ダッサ!と超絶にムカついて拒否したことがあったのであります。
ま、そんな会派内のルールも『票のため』とか『イメージアップのため』みたいな個人の都合で捻じ曲げられることも時々見受けられ、また会派によってはそんなの関係ねえというところも素敵な多様性、そういうのに違和感ありまくりなので、辛いこともあるのも事実。政治好きじゃないとか団体行動が苦手なその辺のおばちゃんにとって、組織な議員のお役目ってしんどいこともあるなって改めて思う。
……いや違うな。ダブルスタンダードにならざるを得ない時があるから辛いんだな。立場によって色々。
ま、とにかく、ルールを『全会一致から多数決で決めてもいいんじゃね?』に変えようとするだけでも、細かく言えば『全会一致』にしないと変えられないんですよねえ。……いや、多数決で良いというもんでもないな、この類は確かに……特定の目的をもった組織的な行動が多くなってしまうのは目に見えてる。それはよろしくない。
と、本日はオチも何もないただの戯言の日だってあるよ。人間だもの。