徒然

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8/22,23は麻布十番納涼まつりです。昔は3日ありました。今は2日。

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この10年近く、バイリンガルな特性を活かして外国人も多い港区、麻布地区のためにお祭りで何かあった場合の外国語対応要員として手伝わせてもらってます。街の子ですし。商店街の子ですから。納涼まつりがこないと夏!という感じしませんもん。

日本語と英語アナウンスしたり、迷子係したり。日本語を話さない救護必要な人とかいたりするので、お役に立てる事もあったりするんです。医薬業界で日米で働いてた歴史が役立つ時もある…!

さて、高校生の頃、世界史が好きでした。理系クラスでしたけど世界史と古典もそこそこ得意な高校生。数学はできる。英語は普通。英会話はまあまあ。国語はまったく苦手な高校生。ああ懐かしい、20年くらい前。いや、もう少し前かも。

そんな私が日本の高校2年生を終えて、高校辞めて留学。ありがとうお父さんお母さん。向こうで一番得をしたのがやっぱり数学。

微分積分は余裕、代数幾何も余裕。グラフィック計算機の使い方で四苦八苦。化学も余裕、英語(あちらの国語)、アメリカ史は必死。

余裕と必死の境界線。それは『英語で問題を理解できるか否か』。微分積分や化学なんて記号や式さえ見れば何とかなる場合多し。

でも化学の元素記号は日本で習ったカタカナと英語で異なる事も多くって、

『Na = ナトリウム(日本語)= ソーディウム(英語)』

『K = カリウム(日本語)= ポタッシウム(英語)』

化学関連のカタカナは全世界共通じゃないのかよ!と元素記号覚えなおしたりするのがちょっとアレな感じでした。そんな私が大学に進み、卒業までに2クラスの歴史系のクラス受講が必要となります。ひとつはアメリカ史。もうひとつは何でもよし。

そこで私は思いました、アジア関係なら楽勝じゃね?と。アメリカの歴史は比較的薄いから狭いところを深く掘って、日本で習ったアメリカ史では見た事も聞いた事もない人物たくさん出てくるし、それなら自国で多少は習って知っているべきな日本を含むアジア史の方がまだイケそうじゃね?と。

結果、惨敗(ちゃんと単位は取りましたけど)。後々、もっと大人になってからそういう教科を教える友人に『歴史長すぎて色々ありすぎてあの領域はカオスよ!』と言われましたが。

一番苦しんだのが、中国の歴史。

秦はQinだし、清はQingだし、焼き物の有名な時代の皇帝の名前は康煕(Kangxi)、雍正(Yongzheng)、乾隆(Qianlong)だし。読めないし。発音できないし、通じないし。

や、ローマ字っぽく何となくフィーリングでイケるかなーって思ったんですよね。全然ダメでした。毛沢東も鄧小平も漢字でしか習ってないからもう全然。毛さんなんてマオさんですし。

勉強不足と指摘されれば、はいその通りです申し訳ありません、としか言えないんですけれども。

歴史の迷子になりませんように。

日本の歴史

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この季節になると、中学2年の時の社会の授業を思い出します。日本史に初めて触れたものの、近代史まで行き着いた記憶がない社会の授業です。1時間潰して特定アジアについて熱弁を振るわれた理科の授業も今ついでに思い出しました。

何で近代史の記憶が無いんだろう。薄っぺらい中身だから覚えて無いだけなのかもしれません。授業を真面目に受けてなかっただけなのかもしれません。そもそも学んでないという線も捨てきれない。わからない。どっちだろう。

学生時代の私自身の修学度(そのコトについてどれだけの知識があるか)は間違いなく

江戸時代まで >> 明治以降

明治以降はもう最低限の常識程度しか。いかん。

そこで私はずっと前に思いました。この日本の素晴らしい長い歴史、1年間の尺が足りなくて近代史まで追っつかないのではないかと。だから2月とかはもうやっつけ仕事のように取りあえず読み上げるだけみたいな。そして更に、縄文時代弥生土器に長い時間割きすぎじゃないのかと。竪穴式住居に時間取りすぎなんじゃないかと。

(´-`).。oO(過去の個人的な見解です…

さて、日本の歴史において昔からよく疑問に感じていたことがあります。クイズやテスト問題にあるような穴埋めの『年』とか『事件』とか、どこまで覚えなきゃならないんだろうかと。

日本語の素晴らしいところ、それはなんと言っても語呂合わせ。多分こんな言葉遊びができるのは日本語以外の言語は無いのではなかろうかと。

ひとよひとよにひとみごろ。

これはルート2。

いい国作ろう鎌倉幕府。

1192年だか1185年だか、教え方が変わってきているようで。

そんな事はさておき、いついつにこういう事が起こってねという事実を知るのはとっても大切だとは思います。でももっと大切なのは『西暦何年かはもうどうでもよくて、どういう経緯で何がどうなって、これこれこういう理由であれがこうなった』という流れなのではないかなと強く感じるようになりました。

アメリカの高校でアメリカ史を習いました。建国200年ちょい、日本と比べたら10分の1以下。中間や期末テスト問題はテーマとノート冊子を与えられてのエッセイ、つまり小論文。『ボストン茶会事件について』とかそういうの。それまでの国内外の背景、たくさんの人物、考えられる様々な要因を踏まえて物語のようなストーリー解答を求められるわけです。自分の文章で。

日本の近代史というか、ここ100年くらいの出来事というのは、国内だけではなく国外の要素も大きく関わってきます。正しい歴史認識を統一する必要があるかどうかは別として、これからの日本に必要な歴史教育というのは、『何故』という要素要因をたくさん教えて、考えさせる方がいいのではないかとも思います。

例えば、日本で平和について考えるといったテーマには必ず『戦争』と『原爆』がつきものです。日本が世界で初めての原爆被害にあったという事実も過去も変えることはできません。是非とも『何故日本は開戦したか、せざるを得なかったか』を多方面から教えることも忘れずにお願いしますです。

戦前の日本と戦後の日本を学んで比較して、それを考えることでこれからの平和にも繋がるのではないかとも。

70年、比較的最近のことです。10年20年前の事も『あんなのつい最近の事よー』と感じてしまうお年頃になりました。例えば消費税が初めて導入されたのも『ついこないだ』のよう。小学生ではなかったような、既に平成になってたような、そんな時期。

消費税というものがまるでなかった時代からいきなり3%(当時)という数字がでてくることになり、そして『10円のチロルチョコを1つ買う時の消費税はどうなるんだ!』と全国の小学生が計算機を手にとってざわざわした事。

それが正確に西暦平成何年だったかは今の私にそこまで重要ではないけれど、チロルチョコ論争がコッソリとあったことは絶対忘れない。それも日本の隠れた歴史。

夏、それは暑い季節。

毎日お暑うございますね。港区の防災無線?放送?からも、時折ピンポンパンポンの音と共に『高温注意報が発表されました』とアナウンス。幼き頃からこのピンポンパンポンが鳴ると「お、光化学スモッグだ!』と感じてしまう昭和生まれの習性でございます。港区では日本語の次に英語の放送が流れますが、残念ながら日本語も聞き取れなければ英語も聞き取れない。工事のせいか、スピーカーのせいか、なんなのか、もう少しクリアな音質を求む。

さて、ここのところ何をしてたかというと、

ラジオ体操行ったり、

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ラジオ体操行ったり、

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ラジオ体操行ったり、

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お祭り行ったり、

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お祭り行ったり、

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お祭り行ったり、

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道路工事説明会で勉強したり、

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保健福祉常任委員会あったり、

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建物工事の説明会開催の後押ししたり、

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実家でウェイトレス見習いしたり、

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猫の開きを作ってみたり、

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飲むヨーグルトの残りをぺろぺろされたり。

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保健福祉常任委員会のまとめはまた近日中に。

なんとかイズム

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海外で11年ほど生活していました。高校編入から始まり、大学を卒業して、その後4-5年働いてから日本を拠点に。大学はサウスカロライナ州というところにありまして、日本ではあまり馴染みのない南部の州。『甘くない方』と言わなければびっくりするほど甘いアイスティーが普通に出され、ペプシと言おうがコークと言おうがペプシが出てきたり、バーベキューといえばBBQソースやマスタードで甘めに味付けした豚肉の細切りが出てきたり、そして政治的にはどちらかというと共和党の影響力が強い地域です。

アメリカ南北戦争の口火をきったチャールストンという町もあるサウスカロライナ州。今月、南部連合の象徴としていた旗(コンフェレデーション・フラッグ)を州議会から撤去するという法案が可決されました。赤地に青と白星のクロスのコンフェデレーション・フラッグ、私の暮らしていた20年近く前からも色々と何かと話題に上がっていたものです。あちこちで目にしましたしね。もちろんサウスカロライナ州だけではなかったですけれども。アメリカ南部は歴史的背景、文化的背景が色々あります。

そんな大学時代、ひとつ衝撃的なことを知りました。日本ではいたって普通に理科の授業、生物の授業で誰もが通過する『ダーウィンの進化論』を教えない学校もあるということ。もちろん宗教的な理由で。南部はどちらかというと比較的宗教色の強めな地域でもあります。種の起源。 The Origin of Species。

『疑問を感じたことはない』
『知識として情報を蓄積はするけれども、信じるか信じないかは個人による』
『教わったことがないからよくわからない』
『宗教的に断固否定する』

 

最近色々と国内でコントロバーシャルな話題がありますよね、そのニュースや話題を耳にする度に、当時ダーウィニズムについてのもやもやした気持ちが思い出されます。

それが安全保障関連法案。

『防衛が最重要点であるから疑問を感じたことはない』
『時代と変化に考慮はするけれども、賛否は個人による』
『全体像が見えないからよくわからない』
『9条を支持するので断固拒否する』

日本では政治と宗教とプロ野球は荒れる3大要素といいますが、敢えて2つも出しちゃいました。2/3も出すならどうせなら全部出しちゃえ。ツバメ軍団推しです。

二つの国で教育を受けて生活も経験し、語学も知識を含めて何もかもが中途半端であることは否めません。第二次世界大戦が終了したのは8月14日、原爆投下が早期に戦争を終了させそれまでの何倍何十倍の犠牲を出さずに済んだと授業で説明があった時の、なんでしょう、あのもやもやした感じ。何が正解だかわからなくなって混乱した感じ。

話は少し飛びますが、高校の時に外国人向けの授業の中でディスカッションを行うことがありました。まずひとつの意見に賛成か反対かを問われ、2つのグループに分けられます。そこから賛成vs反対で議論が行われるのかと思いきや、分けられたグループと反対の意見を推すように言われ、ディスカッション開始。つまり、最初に賛成したら反対グループに、反対したら賛成グループとして開始。

そりゃもうしどろもどろです。言いたいことも言えず、双方ぼろぼろです。結果その授業で学んだことは、いかに双方の可能性を考慮し、論理的に、かつ感情的にならずに議論するということもありますけれど、一番重要なのは『世の中には賛成意見も反対意見もそれ相当の理由がある』という至極当たり前のことでした。

安全保障関連法案も色々とご意見があるでしょう。一度オススメしたいのは『逆の立場になって何故そう思うのか』です。その時に出てくるのは、多分ですよ、自ら考えたものよりは記憶の片隅に残っているどこかで見聞きした文言だと思います。〜だからという理由。きちんと考えていると、あれ?これって何で理由にされてるんだろう?と疑問に感じることもあるかもしれません。

ちなみに私は反対意見から『徴兵制』が理由としてどのような観点からでてきたのが未だにわからなく、これからの時代に頭数のような素人を集めてプロフェッショナルに対する作戦が是とされるのか、また徴兵したとしても毎日のご飯を食べさせたりする軍としてのキャパシティも拡大していく余裕が日本にあるのか、徴兵制度自体は韓国が導入しているようなものを指しているのかそれとも第二次世界大戦時代のようなものを指しているのか、はたまた先進国でたくさんの方々が反対しているような徴兵制度をとった上で実際に徴兵された国があるのだろうか、とたくさんのハテナが湧いてきます。憲法学ってどんな学問なんだろうとか、憲法学者ってみんな弁護士なのかしらとか。

平和を願う心は誰もが同じ。賛成や反対の二択を迫る前に、私たちもまずよく考えて自分の意見(不思議に感じる点でも)を整理してみるいい機会なのではと思います。

情報公開

区政報告(という名の自分新聞)を作成してご近所だったり活動地域だったり、はたまた頑張れと叱咤激励を頂いている皆々様にお渡ししています。その際によく言われるのが『いやー、こういうの初めてもらったよ』や『ふーんとチラ見して即ゴミ箱行きだとしても、こういうのあるといいよね』など、どちらかと言えばポジティブなご意見。ありがとうございます。

印刷発注した直後に誤字が見つかるあるある。そんなもんです。何回見直しても、見落としちゃうんですよねー。ちょっとショックを受けています(○応え  ×答え)。
最近は情報提供手段がブログだウェブサイトだFacebookだTwitterだと多様ではありますが、わたくしまだまだ紙媒体での需要はとても大きいと感じてます。ネットしない人もいますし、またわたくしの知り合いでFacebookもTwitterもしない人たくさんいます。実はわたくしも大好物ではありませんし。
さて、情報公開ということで、来週に港区自民党議員団ニュースというものが発行されます。年に4回の議会終了後に『自民党議員団、代表質問&一般質問でこんなこと質問しました!』のようなお知らせ。つまりは定期広報紙です。今回はそれにプラスα。21日の港区内新聞折込の予定でございます。
20150721 news 1
5月1日の改選後新体制、実は港区議会ではちょっとした揉め事が起きていました。前にも少し触れたことがありますが『会派』の件です。とあるグループの設立から多々ある行動を巡り、インターネット上を中心に一悶着あったわけです。今回、4年前、はたまたもっと前の選挙で当選した議員さん達の行動を巡るすったもんだ。
『ウソつかないでよー』
『ウソじゃないもん!』
『そうじゃなかったでしょー』
『しらないもん!』
『本当のこと言いなよー』
『本当だもん!』
と、誰がみても正直低レベルの醜いイザコザです。それがSNSやネットに強い?と思われる議員さんの情報発信力で色々真意が定かではない情報が拡散しまして、港区議会が叩かれたり炎上したり、それはもう非常に時間の無駄でした。
一方の言い分だけが拡散、もう片方はひたすら悪者。よくあることですよね。思いが強すぎるから、必然とそうなっちゃいますよね。誰かの息がかかってるんじゃないかと疑っちゃうくらいに悪者ストーリーが出来上がってる。裏に絶対プロがいますよ、プロが。プロフェッショナルだかプロデューサーが。そう勘ぐっちゃう人も多いのでは、というような2ヶ月間。
まずはしょっぱなの代表者会議とやらにマスメディアの取材が入ること自体、予定をどうやって知ったんだろうと不思議なんですもの。誰かが取材しにきてとお願いしたんでしょうね、多分。だってそうじゃないと記事になるようなことではないと思いますもの。
自民党議員団、今まで結構な頻度でなにを言われてもスルーしてました。叩かれっぱなし。しかしこの度、折角の議員団ニュースを発行することですし、この騒動についてちょっと区内のみなさんにお知らせする丁度いい機会ではないかと。
一方的に言われっぱなしだから、よーしこちらも言い返すぞー!という趣旨ではありません。この件、びっくりする程に様々な要因が絡んでいます。それがとても複雑。どちらに言い分があるかを判断していただく必要はまったくありません。本当の事、背景を知ってもらいたいという願いひとつです。これも情報公開。それで読み手のみなさんにも色々と考えていただくだけで幸いです。
ライターさんがいるわけでもなく、ライターさんにお願いすることもなく、自民党議員団で書いてます。たたき台を作って、修正して、そんなことを真剣に結構繰り返して。そして完成。
……印刷発注した直後に誤字が見つかるあるある。そんなもんです。何回見直しても、最後の修正の時にうっかり変換ミスとか見落としちゃうんですよねー。そういうもんですよねー。
どうみてもミステイクです(○表現  ×証言)。

2015年後半戦、いってみよう!(チョーさん風味)

20150701

あっという間に7月です。今年も半分終わったどさくさに紛れてウェブサイトを一新してみました。といいますのも、区政報告を載せるのが主な理由です。小倉りえこ、とにかくわかりやすいシンプルがお好き。小倉だけに小豆色。ほぼ全てが手探り、そして手作りの区議会議員生活です。ありがとうございます。

その中で考えさせられること、それは議員個人としての活動報告のあり方です。5月から定臨時会、定例会という延べ日数にすれば2週間足らず、正直に申し上げて個人がやり遂げたことも成果がでたことも存在しません。地域の方々からいくつかお願いされたことはありますがサポート役割ですし、それは実績でもなんでもありません。今回作成した区政レポート、議会の状況が半分、個人的なことが半分。今の私には正直に言ってこれが精一杯です。起こったことや状況をかいつまんでご報告させていただく、私の行動を通じてほんのちょびっとの興味を港区政に持ってはいただけまいか?という趣旨の報告が精一杯でございます。今のところは。

プロのライターさんに書いてもらうわけでもなく、プロのデザイナーさんに作ってもらうわけでもなく、完全手作りの小倉ニュース。いや、おぐらタイムス。ネーミングセンスも非常にアレですが、そこはご愛嬌。

ウェブサイトも作ってて思う所もありました。私はいったいどういう情報を世間に公開したいのだろうかと。こんな背景あるんですといった自己紹介も必要ですし、自分のことを知ってもらうような自己紹介も必要ですけれど、そんなことより私を通じてお住まいの地域(港区に限らず)の政治に興味を持ってもらいたい。区議会ではこんなことやってますよ、こんな議員がいますよ、こんな事が決まりましたよ。4年に一度の選挙前だけでなく、日々の中でそんな情報をみなさんに知って欲しい。

自分の生活に関係ある/関係ない、そうおっしゃらずに。

そんな中、議員となった私が一番みなさんに知って欲しいこと。今回の定例会などを通じて『あ、ずっと前からこういうこと知ってたらよかったかも』『これからこういう情報は知っておいてもらって損はないよなあ』というモノがありました。区議会ウェブサイトに行けば情報は取れるものですが、わざわざ調べにいく人も少ないでしょう。

それは『議案、請願、発案の審議結果』です。

港区は会派ごとに賛成か反対か、はたまた退席かまで記載されます(公式公開まで少し時間はかかるようですが。港区議会、今の時点では今年3月の前期のものまで公開されてます)。案件を眺めながら、『なんで賛成なの?なんで反対なの?なんで退席なの?』と自分でも色々と考えさせられるものありますし、はたまた『え、あのグループってああいう判断したんだ』って驚くようなこともありますし。

区議会と国政は違うと言い切る人いますけど、結果をみると案外そうでもない結果だったりします。所属政党の政治信条・個人の主義主張をとやかくいうつもり、一切ありません。

議員の評価って、どれだけたくさんの人前でのプレゼンスがあるか(顔と名前を知られているか)だけじゃありません。どれだけたくさんブログやSNSで情報発信したかだけでもありません。もちろん、選挙公報に書いたことの実現度だけでもありません。どういう議案にどういう判断を下した、といった情報もとても重要ではないのかなと改めて考えた私でありました。

そんなみなさんに是非一度ご覧になっていただきたい港区議会の審議結果はこちらです。今期と違って前期は会派がたくさんありました。港区議会HP→会議の記録→議案等の審議結果
http://www.gikai.city.minato.tokyo.jp/main/record3_1502.html

港区議会、絶賛定例会中

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マニフェストという単語が流行った時期がありましたよね。政治的な意味で『選挙公約』とある時から意味するようになりましたが、本来の英語の意味として『明らかにする』というのが妥当なところでしょうか。

さて、先月に総務省による選挙後の選挙公報の取り扱いについて以下のように意見がありました。

「投票日の翌日以降、選挙公報を選挙管理委員会の記録用のホームページに掲載することについては、次回以降の選挙に係る選挙公報と混同されたり、選挙の公正を害するおそれのない形式でおこなわれるものである限り、差支えない」

つまり、今までは選挙後は各候補が作成した選挙公報をホームページ上からすぐに削除していましたが、それがこれからはすぐに削除する必要はなく、有権者への情報提供の一部として捉えることができると。4年間の任期の間に公報に掲げたことを有権者の皆様がチェックできるよう、各自治体のホームページ等にずっと掲載する、そんな利用になりそうな流れでもあります。

そこでひとつ疑問。

『本当に事後評価として用いるツールになり得るのだろうか』です。疑問の理由は2つ、『本当にあなたがやり遂げたの?』と『あなたがした事はどうやって知りえるの?』を解決するための情報収集の術が足りないから。

その公報に書かれたことが絶対無二の約束事なのか、その個人が目指す未来の姿なのか、読むだけでは判断がつかないことにあるのではないかと感じることが多々あります。だって、政治に絡む物事ってひとりで成し遂げられることではないんですもの。地域の方々の理解もあり、行政の協力もあり、そして区議会全体でそりゃもうものすごい議論をするわけですよね。自分が頑張ったから達成した!というよりは、たくさんの人々の意見がある中でより良い方向性を見出した!みんなで頑張ったからできた!と言えるだろう事のほうが多いはずと感じているのが理由です。

ちなみに私は前述の後者のカテゴリーに入るであります。公報の中のひとつに『医療・福祉環境の充実』と書きました。類似した点を公報に挙げている方も他にもたくさんいらっしゃいますね。これらの福祉等の件はこれからの人口増加や超高齢化社会と深い関わりがあるので、基本的に無視できないものです。そんなことは現職・新人議員関係なく、普通に生活している人でも行政でも当然わかっていますよね。そして何年も前から人口統計の予測もありますし、当然様々な計画も立てられているはずです。『特養やグループホームの増加、地域包括ケア、質の向上』の類が何年も前から課題となり、議会においても案件としてあげられています。何年も前から。

では、これからの4年の間に『高齢者サービスの充実した何か』が決定されたとします。色々な人が関わって、委員会でも議会でも長い時間をかけて議論されて採択された議案とします。私は医療・福祉環境の充実を公報に書いたからと言って『自ら掲げた事を達成した』のでしょうか?

否。

子育て支援だとか学校に関することも、同じことが言えるかもしれないですよね。昨日その問題を初めて指摘したから今日その問題が案件として初めて出てきたのか、考えれば簡単なことです。んなことない。区役所のことです。何年も何年も検証に検証を重ねて、必要以上にあたためていたはずです。議員の立場として早期に実現できるよう多少のお手伝いや、当初の計画より時代に沿ったもっとよいアイディアを盛り込むことは十分に可能でしょう。しかしそれを私が考えて達成したと言い切っていいものではないと考えています。だって一人でできないもの。みんなが賛成しないとできないもの。

議員の仕事っぷりを判断する材料というものが少ないのも原因のひとつかもしれません。今の情報の充実した時代、ウェブサイトやSNS等で情報発信をし、自らの努力や取り組みを閲覧している方にみせるのもひとつのやり方ではあります。しかし『個人の独白』が事後判断の評価に繋がるかどうかは疑問です。理由は先ほど挙げた通り。

例えば私が「xxの件、とうとうxxが決定いたしました!やったー!がんばりました!」と情報発信したとしましょう。それを読んだ方が『小倉、がんばったんだな』とか『やるじゃん』とか思う心優しい方もひとりふたりいらっしゃるかもしれません。でもひょっとしたら私はその件で何一つ発言せず、よくわからないまま他に流されるまま賛成したという背景があるのかもしれませんよ。本人がそこを言わなければ真実は闇の中です。

記述した選挙公報の内容を確認することでその議員の評価に繋がるかどうか、すっごい微妙。グレーの海のような情報の中から真実を見い出す、みなさん探偵になるくらいじゃないと難しいかもしれません。ひとつの指標とするのはいいのかもしれませんけど、その真意を見定める材料が不透明。

と、真面目に考えてみたものの、やっぱり自分の目でみて考えて判断することが大事だと思うので、是非区議会の傍聴(本会議はネット中継もありますし録画も後日みれます)や、委員会の傍聴にも興味を持ってみてください。委員会は中継ないけど、過去の議事録は港区議会のホームページからご覧になれます。……本会議は発言者が限られるし質問だけだから個人的には委員会がエキサイティングであろうかと思っております。

と、最後の〆は港区議会のPRでございました。第2回定例会は6/17-6/26まででございます。みなさま、よろしくどうぞ。

区役所のおしごと

わたくし区議会議員は町のミカワヤさんである!と称する前から『あれ、どうにかならないのかしら?』や『これ、どこに問い合わせればいいのかしら?』など、町の皆さんからよく相談を受けます。は!これはつまりいわゆる『区民相談』というやつか!と感激しているわけではありません。区議会議員になる前から『ここ、アレよねー?』や『それ、ほんとにアレよねー?』などという、ちょっとした困り事や不便さを井戸端会議で耳にしているわけです。むしろ自分が井戸端会議の中にいました。

この一ヶ月半、一番学んだのは『誰に問い合わせたらよいのか』です。区役所にはたくさんの部がありその下にたくさんの課があり、それぞれがたくさんの担当を請け負っています。港区の地域別の支所だったり色々な課の課長さんだったりのすごくたくさんの内線リストがありますが、それだけじゃなんだかよくわからない。

この件はここだろう!と例えば内線をかけるとしましょう。ほとんどの場合、『はじめまして、わたくし港区議会の小倉りえこと申します。ちょっとお尋ねしたいことがありご連絡差し上げました』から会話を始めるわけでありまして。以前の職場で地理的に離れている事業所にいる見たこともない人に内線電話をかけるドキドキさを久しぶりに味わっています。そんなことはどうでもいいんですけど。

麻布十番の歩道について問い合わせがありました。一人二人ではない方がそこで転倒して怪我をするといった問い合わせです。その中のひとつは私もずっと気になっていた箇所でして。さて、この相談を区役所の方にするにあたりどこに連絡すればいいんだろうとまず悩みます。歩道だし本庁にある街づくり支援部という中にある土木課?土木施設管理課?それとも麻布十番だから麻布支所?その中でも街づくり推進担当?土木課?内線表を前に、そんなところから悩むわけです。サッパリわっかんね。

そんな悩みも『知ってる人にどこが担当か聞けばいい』というシンプル極まりない手法で豪快に解決し、ここがこんな状態なんですけど一度確認してもらえますか?とお願いしたところ、もんのすごい早さで見に行ってもらった上、すぐにフィードバックしてくれるという麻布支所のフルスピード感、素敵。

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お願いしたうちのひとつ、ほんの1cmくらいの段差なんですけど、5〜6名ここで転倒したという話を昔から聞いてました。そしたら遅くとも明後日までにはなんとかしてくれるとのこと。すごい。素敵。仕事早い。別の歩道の件はちょっと複雑な事情があるので、色々と状況を確認してくれるとのことでした。でもその日のうちに少しでもと応急処置の手配してくれて、すごいすごい。仕事早い。麻布支所グッジョブ。

ここでひとつ強調するのは、私が区議会議員だから区役所のお仕事が早いということでは決してないということです。みなさんのお声ひとつが届けば、それはもうすごいスピードでなんとかしてくれるのが区のための区役所。そうですよね、区役所さん。

先日こんな話を聞きました。お店の前の街路樹の葉っぱがぼーぼーで看板隠れちゃうからどうにかしてもらえないか?という電話をしてみたそうです。どこに問い合わせたらわからないからとりあえず区役所にドキドキオロオロしながらかけてみたと。そうしたら次の日には綺麗サッパリ剪定されたと(短く刈り込みすぎだ!とその後ご近所のから別クレームが出たらしいというオチもついているそうですが)。

つまり、お役所の判断ですぐに対応できることはものすごいスピードで仕事をしてくれます。複数の部や課が絡んだり、莫大な予算が絡んだりするような重要事項は色々と調整や協議が必要になるのはわかりますけど、町の井戸端会議で話題にあがるような件というのは案外相談するとすぐになんとかしてもらえる場合が多いのではということです。あなたのドキドキビクビクした電話一本でどうにかなる場合も多いのではということです(ただし、ややこしい場合は除く)。

普通の生活を送っていると、とにかく区役所という場所は色々とハードルが高く感じてしまいがちです。何も後ろめたいことがなくとも警官やパトカーが通り過ぎると無駄にドキドキしてしまうような、そんなハードルの高さ。ちょっと違うか。あとは問い合わせるめんどくささ。気になる他の誰かがクレームつけるだろう、というような。案外誰も問い合わせないんでしょうね。↑の写真の歩道の件、2年前に善良な一般区民として1回電話してみていても多分すぐに直してくれてたんでしょうね。ちょっと後悔。

どうしてずーっとこのままなのかしら?というような案件があるとして、ひょっとしたら地域や町会が関わっているようなことですぐにどうにもできないことがあったりもするでしょうし、どこぞの地域の『すぐやる課』のような対応ができるとは一概には言えません。でも、生活する中でほんの少しの不便があったとして、あなたの勇気ある電話一本連絡一本で街の小さなお悩みがひとつ改善されるかもというお話でした(ただし、好き嫌いのクレームではなく区の安全に限る)。

マイナンバー制度について少し

社会保障・税番号制度、つまりいわゆる『マイナンバー』という制度。アメリカに長く暮らしていると「ああ、つまりはソーシャルセキュリティーナンバー(SSN)よね」とピンとくる人もまぁまぁいらっしゃるのかいらっしゃらないのか。アメリカのお話をすると、個人個人に9ケタの数字が割り当てられ、それが生活の色々な場面で頻繁に利用されます。例えば電話回線を引くとか(20年前はこの番号持ってないとデポジットが$600かかるとかありました、私の場合)、学生番号代わりに使われるとか、とにかく身分証明として使われることも多々あります。当初の導入の目的は『社会保障』のみだったらしいですけれども。

アメリカには戸籍制度がなく、この割り当てられた番号が個人を特定するすべて。なりすましなどの問題も指摘されたりします。日本は戸籍や住民票などありますし、使われ方も使い勝手も違うようになるでしょう。この番号だけがすべてではないようです。

20年前に取得したアメリカのSSN、未だに覚えてます。なんせ利用頻度が多かったものですから。今度の日本のマイナンバーは12ケタ。覚えるほどに使うことがあるかどうか。むしろそういう使われ方をするのかどうか。

10月から順次番号付きのカードが送られてくるので、オリジナルカードの取り扱い・保管は気を付けないといけません。個人的にはパスポートと同様の管理と考えていますけれど。お財布の中に入れておくものではないです。個人的にはそう思います。SSNと同レベルだったらお財布の中になんて絶対に入れませんけど。個人的にはそう思います。オリジナルカードの再発行、手間暇考えると恐ろしくてお財布の中に入れてうっかり落としたり盗られたりしたら、それはもう恐ろしい。

あくまでも個人の見解です。

本日、武井港区長の定例会見の中で現在の港区の取り組みが紹介されております。もちろんマイナンバー制度についても。区民のみなさんからのパブリックコメントの募集は6/21から7/21までの1ヶ月間、みなさんからのご意見をどしどしお待ちしてます(区役所の方々が)。港区以外でもお住まいの地域で同じようなことを行っていると思われますので、各々方の自治体のウェブサイトや広報誌をちぇきだぅ。

武井区長の定例会見のお知らせはこちら↓
http://www.city.minato.tokyo.jp/houdou/kuse/koho/houdouhappyou/20150611_kisyahappyo.html

最近の日本年金機構の情報流失の件もある中、これからの日本は行政だけではなく民間でも情報セキュリティーに関してはしっかりと対応していかなければならない時代です。基本的には『社会保障』『税』『災害対策』への使用に限られているとするマイナンバー。例えばですよ、税務関係で勤務先に色々な情報を提供しますよね。もちろんマイナンバーも含まれるでしょう。先日の件のようにウィルス感染も心配されるでしょうが、データではない紙の書類が社内でうっかり紛失したりすることもありますし、デジモノを使わない人為的なミスというのも気をつけていかなければならないんでしょうね。

あくまでも個人の見解です。

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いきいき、それはイキイキ

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いつもお世話になっている方から「歌聞きにきて!」とご連絡いただきまして、日々の練習の成果の発表会のような演芸会にお招きいただきました。まあみなさんイキイキといきいきプラザでのびのびと。歌だったり踊りだったり、また楽しいお話であったり。体を動かすこと、人と話すこと、笑うこと、大きな声を出すこと。この4つが元気の秘訣ということを学ぶ午後でした。

さて、街の人々から昔から色々な呼ばれ方をしています。小さいころからの私を知っている方々はりえちゃんだったりりえこちゃんだったり、海外にいたころの私を知っている方々はリニーだったり、旧姓だったり、今の苗字で小倉だったり小倉ちゃんだったり。そういえば選挙の際、車で小学生の集団を通り過ぎた際に「小倉パン!小倉パン!」と呼ばれ少しの距離を追いかけられたこともありました。揚げパンの他にあんこの入ったパンが給食で出た日だったのでしょうか。いや、それあんパンだし。それとも小倉トースト?コメダパワーでしょうか。とにかく何がいいかというと、まったく統一されていないところです。色々な方から好きに呼ばれる、呼ばれ放題です。すごく好きです。ありがとうございます。

困ったことがひとつ出てきました。それは「センセイ」と呼ばれる機会も少し増えてきたということです。あだ名がひとつ増えたという認識でいいやとは思いません。

全然センセイじゃないし。センセイは「師」がついた職業の人だけ呼ばれていいものだと思っておりました。教える人=センセイと。医師や教師は通常使いますねセンセイと。しかし、牧師、調理師、美容師、調律師、詐欺師….こうやって思いついた職業を並べてみると、使い方がバラバラです。詐欺師センセイはダメです。ある意味センセイなのかもしれませんが。法則があるんでしょうか?

お互いを「センセイ」と呼び合う職業、思いつくだけで医師、教師、弁護士、政治家くらい。あとは何でしょう。このラインアップをみてる限り、センセイの定義が疑問に思えてきます。業界の中では「ただの二人称」、カドが立たないから「とりあえず敬称最上級のセンセイつけておきなさい」みたいな。センセイの大安売り。センセイと呼ばないと怒る人がいたんでしょうね。会社でも時々いますよね、役職で呼ばないと怒る人。

できればセンセイなんて呼ばれたくないし、呼びたくない。役職も呼びたくない。さん付けにするのが普通となってきた企業が多くなってきたから?それに慣れているから?海外で役職付けて呼ばれるなんてミスター・プレジデントくらいしか思いつかないから?違和感ありありです。呼ばれ方ひとつで距離を感じます。遠い、簡単には近寄れないような。

呼ばれたくないからそう呼ばない。でも呼ばれたい人はいるだろうから、ひとりひとり探りを入れて確認してそう呼ぶ。そういう作業もあるんでしょうね、これから。個人の希望があるのであればそれは尊重しないと。違和感ありますけど。

みなさんはどうお考えでしょうか。議員がセンセイと呼ばれることについて。先生なのかセンセイなのか、それともセンセイ(笑)なのか。